[ 他に好きな詩人が出来ました ]


今夜は、宇宙一大好きな詩人である、銀色夏生さんに手紙を書いています。



あ、このタイトルですが、誤解があったら悲しいので前置きしておくと、
“他に好きなが出来ました”ってパターンの場合は、大抵、元の人はもう好きじゃないって意味になるかと思いますが、今回は全っ然違います。
これまでもそしてこれからも、一番は、一番星は、銀色夏生さんで、それはほんとのほんとの本音で、揺るぎない自信があります。

さて、それは誰かというと、
石原吉郎という詩人です。
銀色さんは勿論ご存知かもしれませんね。
私は去年の初秋に、清水昶(モノマネじゃないほう)の評論を通して知りました。
きっかけになった彼の詩、もちろんあります。


私は、この『 伝説 』という詩に、唸る様に、ため息が出るように感動して、
何度も何度も読んでは、何度も何度も閉じました。

銀色さん、この詩、どうですか?
押し付けがましく、感想をきくものじゃないって、わかっています。
だけど、無性に聞きたくて。
いいね、なのか、別に何とも思わない、か。
というのも、私は、プロアマ問わず、好きな詩人は銀色夏生さんOnlyで、今まで生きて参りました。
銀色さんの言葉のみにしか、この40年、刺さらなかったんですよ?
ユリなんとか等いくつかの詩誌も読んでみた時期もありましたが、まぁ…、大変申し上げにくいのですが、ヒラキやベルメゾンみたいな冊子と一緒に、すぐ古紙の日に回収されていきました。
そんな私が、ついに、銀色夏生以外の詩で初めて感動したという事実。
だから、もしかすると銀色さんも、って。

もちろん海外含め他にも、1篇か2篇くらいは、いい詩だな、って思った詩人はちらほらいますが、
その人物の書く、そうですね、7割くらいの詩を好きになれる詩人は、銀色さん以外初めてで。
石原吉郎の詩は、他にも色々と好きな作品があります。
人生41年目にして、やっと二人目の好きな詩人に出会えたので、死ぬまでにもう一人くらいは出会えるかもな、とは思いますが、数字的にもしかするとこれで最後かもしれません。
銀色さんは、セミリタイアと仰っていましたが、やはり、詩人にも定年のようなものがあるのですか?
元々短い言葉で表現する詩人は、やがて言葉がイチやゼロになり、ついに言葉に代わる何かを見つけるのでしょうか。
あぁ、銀色さんといつか、語り合いたいです。

でもやっぱり、石原よりは銀色さんの世界が好きですね。
詩の本質はどこまでも自由なはずで、古い人は詩はリズムや舞踏だなどと今でも拘っていますが、それって、あれ…?“音楽”ですよね?
BGMのない、本当に「無音の」心ってあって。
その静かで、真空な、“どこまでも混じり気のない言葉”とだけの対峙が、銀色世界にはちゃんとあるんです。
あと余談ですが、ジャンルを越えて、ジブリや新海誠、銀色さんの共通点って、「遠い昔の、遠い気持ち」なのだと、私は思っています。
幼い頃に見た初めての雄大な景色や、学校のグラウンドの砂埃の匂いと、それから。
夏休みの正午の帰り道に見上げた青空…。
ひと言で、青春のトポス。

銀色夏生さん、長生きしてくださいね。
安部公房のように、生誕100周年記念、とか要りませんから。
銀色夏生さんが100歳になった時、私はあなた様に、凛と会いにいきます。
心配しないでください。
ちゃんと、銀色夏生さんに会うに値する、肩書きを持って。


それでは、また。
その時まで。