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【 あとがき 】



この作品は、私の、小説としての処女作です。

ベトナム暮らしの記念に、2年前に創りました。


なぜ、

小説を断片としてバラバラに発信したかったかと言うと、

私はやはり、小説家ではなく

詩人になりたかったからです。


いえ、詩人はなるものではないので、

謙虚に言う必要はありませんでした。


詩人で、在り続けたい。


それから、もうひとつ。


ランダム発信を決めたのは、

「ほん」には出来ないブログならではの

小説の愉しみ方をしたかったからです。


作者が、反抗期の中学生のように

投げ散らかしてバラバラにしてしまったページを、

読者の皆様に、並べ替えて欲しいと。


時々、家出少女のように数ヶ月旅に出ては、

ふらっと帰って来たり、

かと思えば、

ニートのように厚かましく何日も寝泊まりしたりして、


でも、いつでも私の心の帰る場所である、

このアメブロで、

この、温かい両親のような読者の皆さんと、

何か一緒につくってみたいと。


でも、発信を終えた今は

少し考えが変わりました。


このままでもいいのかなって。


並べ替える必要なんかなく、

このままで、きっと。


ストーリーは、想いは、

つながっている必要はなく、

作者の想いなど、

はじめから不器用なものでしたから、

不器用なまま表現出来ましたし、

もしかすると幸運なことに、

遠い誰か一人くらいには、

それをそのまま、飾ることなく、

届ける事が出来たのかもしれない、と。


破片や断片が不完全なのではなく、

もしかするとこれが正解で、

また同時に、

正解はひとつではないのかもしれないと。



津波のことだったか、鬼怒川決壊の
奇跡の白い家のことだったかは忘れましたが、

家探しの中での、実際の夫の忘れられない言葉があります。


「近所がみーんな流されたのに、自分の家だけ残っても嬉しくない。そんな家に住み続けたくもない。自分も、その時は、運命を受け入れて、流されますよ。」


不動産の営業マン相手だったので、冗談混じりのような、遠慮がちな言い方ではありましたが、それは確かな夫の本心であり、本芯であり、定住地を構える、世界地図に点を打つ、という夫の揺るぎない覚悟でした。


建物の役割。土地の意味。

場所という視点で、ひとが生き抜くこと。


住まいへの考え方は多様化して当然だけど、それとは一体何なのかを、今一度、本作を通して考えて欲しかった。


科学技術の発展や豊かさの裏で、誰もが気づき始めています。

きっとどこに暮らしていても、災害からは避けられない、と。

自然は、良くも悪くも、偉大だから。


じゃあ、何処に住むのか。

何を大切に生きるのか。

死を避けるのが正解なのか。

では、生きる意味とは。


お金は、名誉は、

あの世には持ち越し出来ません。

きっとその事と同じように。



この作品は、

安部公房の『箱男』を意識した構造になっています。


一人称から三人称、視点や語り手が気付けば入れ替わり、「作者」の思いと実体験の投影に、「ふき」の日記との一致、そしてフィクションをフィクションたらしめない役割の「写真」の挿入…。

それでいて、なるべく違和感のない透明なストーリーで仕立て上げたかった。

私がこのように本作に切り貼りを施した理由は、ですが『箱男』のような、“読み手への挑戦状”ではありません。


静かな川に灯籠を流すように、

湖の向こう側までセオムで会いに行くように、

それぞれの社会を生きる皆さまと、

時には一緒に、心を飛ばしてみたい。


私はそれを可能にする文学というものを、

その文学の「芯」だと信じている詩を、

心から愛しています。


そしてもしかすると、

心そのものかもしれない 詩人という生き方を、


これからもずっと、愛し続けたいと思っています。





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《 付記 

白髪事情の方が切実問題であるはずの麦が、美容院で、カットとパーマだけをお願いするワケ。

実は、西と麦のその後を描いたスピンオフ作品を随分前にアップしていました。ポエム744。

宜しければそちらも合わせて、お楽しみいただければ幸いです。

 Special thanks to my readers.