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新居での生活がスタートし、二年が経った。
コスパ重視の建売にはあまり期待していなかったけれど、一言(ひとこと)で、〝かゆい所に手が届く〟間取りで、なかなか気に入っている。
大祐にはこの春、予想通りの辞令が下りた。
次はインドネシアだという。
まるで熱海に一泊旅行にでも行くようなリュックひとつの身軽なベテラン駐在員を、空港まで送って行ったあと。
その足で次は、自宅近くの葉桜に変わりつつある河津桜(かわづざくら)の木をくぐって、駅に向かった。
駅の改札には、大荷物を提げた大祐のお母さんが立っていた。
もうあの頃の勢いはなく、すっかり下手(したて)に出た、丸っこいおばあちゃんという風貌。
息子とは正反対に、死体さえ入りそうな大きな鞄からは、緑がかった枕の端っこが飛び出していた。
(一緒に暮らすんだから、そんなもの、用意してあるのに。)
若年性の認知症と診断された姑を、その業界で働く麦は放っておけなかった。
まずは半年間、という提案をして、年老いたお義父さんの負担を減らすことを考えた。
大祐との関係は、というと、やはり変わらずだった。
妻にはなれたが、母にはなれないまま。
だけど、大祐の家族と、ほんとうの家族になれたこと。
その点では、変わったのかもしれなかった。
絆とは案外、形式的なもので繋ぎとめられているのかもしれない。
結婚も、家も、契約なのだから。
そして、女には、 なれたのだろうか。
直視はしない。
桜の木が視野に入ると、やっぱりまだ、思い出してしまう。
「旦那さんと別れるんだったら、俺も、覚悟するから」
「いつでも。」
たった二行のセリフを、何度ルフランしただろう。
愛する人から言われたセリフの中では、いちばん切なかった。
大祐を嫌いになったことはない。
寧ろ、大祐を愛したままで、下倉を愛してしまった。