松下幸之助『道をひらく』を読む(45)雨が降れば | 池内昭夫の読書録

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 雨が降れば傘をさす。傘がなければ風呂敷でもかぶる。それもなければぬれるしか仕方がない。

 雨の日に傘がないのは、天気のときに油断して、その用意をしなかったからだ。雨にぬれて、はじめて傘の必要を知る。そして次の雨にはぬれないように考える。雨があがれば、何をおいても傘の用意をしようと決意する。これもやはり、人生の1つの教えである。(松下幸之助『道をひらく』(PHP研究所)、p. 42)

 「備えあれば患いなし」という諺(ことわざ)の例として、よく「アリとキリギリス」の話が取り上げられるが、似た話に「アリと甲虫」という話もある。

《夏の季節に蟻(アリ)が田畑を歩き梱って小麦や大麦を拾い集めて、冬の自分の食物に蓄(たくわ)えていました。

と、甲虫(カブトムシ)が蟻の大変勤勉なのを見て、他の動物たちは仕事をやめて呑気(のんき)に過ごしているちょうどその折(おり)にえらく精が出るんだね、と驚きました。その時には蟻は黙っていました。しかし後で冬が来た時に牛の糞(ふん)が大雨に溶(と)かされたので、甲虫は飢(う)えて食物のお裾(すそ)分けを願いに彼のところへ参(まい)りました。

と、蟻は甲虫に「ねえ、甲虫さん、私が精を出し、あなたがその私を非難した時に、あなたが働いていたら、今食物にこと欠くことはないんでしょうがね。」と言いました。

 こういう風に、盛んな折に将来のことを予(あらかじ)め考えない人々は時節が変った折にひどく不幸な目に遇(あ)うものです》(「241 蟻と甲虫」:『イソップ寓話集』(岩波文庫)山本光雄訳、pp. 186-187)

 わかりきったことながら、世の中にはそして人生には、晴れの日もあれば雨の日もある。好調の時もあれば、不調の時もある。にもかかわらず、晴れの日が少しつづくと、つい雨の日を忘れがちになる。好調の波がつづくと、ついゆきすぎる。油断する。これも、人間の1つの姿であろうか。

 このことをいましめて昔の人は「治にいて乱を忘れず」と教えた。仕事にしても何にしても、この道理はやはり1つである。(松下、同、pp. 42-43)

 「治にいて乱を忘れず」という言葉は、『易経』に由来する。

子曰く、危うしとする者は、其の位を安んずる者なり。亡びんとする者は、其の存するを保つ者なり。乱れんとする者は、其の治まるを有(たも)つ者なり。―『易経』繋辞下伝

(常に現状に危機感を持っている者は、その地位を安定して保つことができる者である。常に滅亡するのではないかと自戒している者は、その存続を保つことができる者である。常に乱れはしないかと心配している者は、その治まっている状態を長く保つことができる者である)

是(こ)の故に、君子は安(やす)けれども危うきを忘れず、存すれども亡ぶるを忘れず、治まれども乱るるを忘れず。是(ここ)を以て、身、安くして、国家、保つ可きなり。― 同

(このようであるから、君子たる者は、安定している状態であっても、常に危機感を持ち続け、存続している状態であっても、滅亡することに思いを馳せ、治まっている状態であっても、乱れることを心配し続けるのである。それ故、その地位を安定して保ち、國家を長く治めることができるのである)