松下幸之助『道をひらく』を読む(31)自然とともに(その4) | 池内昭夫の読書録

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本を読んで思ったこと感じたことを書いていきます。

《内閣総理大臣に就任してから、国内外の山積する課題に、スピード感を持って、決断を下し、対応してきました。

「行蔵(こうぞう)は我に存す。」

それぞれの決断の責任は、自分が全て負う覚悟で取り組んでまいりました》(第208回国会における岸田内閣総理大臣施政方針演説)

 おそらく岸田首相は、<行蔵>を最終決定権のように捉えているのだろう。が、海舟が言った<行蔵>とは、「自らの出処進退」ということであるからこの引用は不適切と言わざるを得ない。

《幕末を生きた勝海舟は、「行蔵は我に存す」とともに、「己を改革す」、自らを律することに重きを置きました。

 今、新たな時代を切り拓くに当たり、統計の不適切処理はもとより、我々政治・行政が、自らを改革し、律していくことが求められています。

 その最大の原動力は、国民の声です。国民の声なき声に、丁寧に耳を傾ければ、そして国民と共に歩めば、自ずと改革の道は見えてきます。

 引き続き、「信頼と共感」の政治に向けて、謙虚に取り組んでいきます。共に力を合わせ、この国の未来を切り拓くため、心より、国民の皆さんの御理解と御協力をお願いいたします》(同)

 「己を改革す」も「自らを律する」ということではない。そもそも海舟は「己を改革す」とすら言っていない。

《行政改革といふことは、よく気を付けないと弱い者いぢめになるヨ。おれの知ってる小役人の中にも、これまでずいぶんひどい目に遭ったものもある。全体、改革といふことは、公平でなくてはいけない。そして大きい者から始めて、小さいものを後にするがよいヨ。言ひ換へれば、改革者が一番に自分を改革するのサ。松平越中守が、田沼時代の弊政を改革したのも、実践躬行(きゅうこう)をやって、下の者を率ゐてゐたから、あの通りうまく出来たのサ》(勝海舟『氷川清話』(講談社学術文庫)、p. 242)


 海舟が言っているのは、改革は公平でなければならない。大きいものから始め、小さいものを後にすべきだ。だから、改革者は、一番最初に自分を改革すべきだ、というのであって、自律とは無関係である。

 海舟の言を引いて演説に威厳を持たそうとしたのだろうが、よく理解していないものを引用してしまっては元も子もない。

時節はずれに花が咲けば、これを狂い咲きという。出処を誤ったからである。それでも花ならばまだ珍しくてよいけれど、人間では処置がない。花ならば狂い咲きですまされもするが、進退を誤った人間は、笑っただけですまされそうもない。自分も傷つき、人にも迷惑をかけるからである。

 人間にとって、出処進退その時を誤らぬことほどむつかしいものはない。それだけに、ときには花をながめ、野草を手に取って、静かに自然の理を案じ、己の身の処し方を考えてみたいものである。(『道をひらく』(PHP研究所)、p. 19)