『西郷南洲遺訓』を読む(68)談話筆録ゆえの説明不足 | 池内昭夫の読書録

池内昭夫の読書録

本を読んで思ったこと感じたことを書いていきます。

24 道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也。

(道というものは天地自然のものであって、人はこれにのっとっているものであるから天を敬うことを目的とすべきである。天は他人をも自分をも平等に愛したまうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である)― 渡部昇一『「南洲翁遺訓」を読む』(致知出版社)、p. 166

 まず蛇足であるが、「平等」という言葉は、優れて抽象的なものであるから、具体的なものにこの言葉を用いることは慎むべきである。「人は生まれながらにして平等」などと言うのは、人々に誤解を与える素(もと)である。が、「天」は、抽象的なものであるから、天が人を平等に愛し給うとしても問題はなかろう。

 本題に入ろう。

《この語録は談話の「筆録」であって、西郷自身の書いたものではない。筆録者の方が固くなって、西郷の言ったことの大意だけは伝え得ても説明は不足し、論理にも飛躍があって、文章としては難解になっているものが少なくない》(林房雄『大西郷遺訓』(新人物往来社)、p. 51)

と林氏は言う。

《この一節の前半は説明不足、論理の飛躍の実例である。これは西郷の罪ではなく、また必ずしも筆録者の罪とも言えない。すべて筆録というものは、こういうものである…だが、儒学畑でのみ育った庄内藩士には、「天を敬う」の一語の中に、天地自然の道に従う意味と同時に、〔本居〕宣長(もとおり・のりなが)・〔平田〕篤胤(ひらた・あつたね)の「古道の尊重」、したがって天皇への敬愛の情がふくまれていたことを聞き落し見落したかもしれない…右の言葉の述べられるはるか以前に「願わくは魂塊を留めて皇城を護らん」という詩がつくられていることを見れば、私の推測も必ずしもこじつけではあるまい。西郷の言行から勤皇の心を抜くことはできない》(同、p. 52)

 「天を敬う」は、言外に「古道の尊重」が含まれていると言うのである。

《「敬天愛人」が儒学的な表現であることはまちがいないが、その底に国学者的な発想があることは、これまで見落されていた。薩摩藩士に平田門人が多く、西郷は平田派の先輩、同輩、後輩にとり巻かれていた。西郷は老荘派と禅学の影響をうけて、脱俗隠遁癖が強すぎたと説く学者も少なくないが、彼らもまた西郷における国学の影響を見落していたのである》(同、pp. 48f)

 この辺りの事情に疎(うと)いので、私には、「敬天愛人」という考え方が、どれくらい「國學」の影響を受けているのかを判定することは敵(かな)わない。が、「敬天愛人」を独り儒学の観点からだけで解釈し理解するのでは、物足りない感じがするのもまた事実である。