『西郷南洲遺訓』を読む(47)西郷の精神論 | 池内昭夫の読書録

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15 常備の兵数も、亦(また)会計の制限に由る、決して無限の虚勢を張る可からず。兵気を鼓舞して精兵を仕立なば、兵数は寡(すくな)くとも、折衝禦侮(ぎょぶ)共(とも)に事欠く間敷(まじき)也(なり)。

(常備の兵数も、また会計の制限によるのである。決して無限の虚勢を張ってはいけない。兵隊の士気を鼓舞して、強い兵隊にすることができれば、兵隊の数は少なくとも外国との折衝に当たっても、また敵からなめられることを防ぐにも、事欠くことはないであろう)― 渡部昇一『「南洲翁遺訓」を読む』(致知出版社)、pp. 123f

 明治政府が「富国強兵」を掲げていたのは、日本が欧米列強に植民地化されないようにするためである。ここで重要なのは、「強兵」だけを単独で言うのではなく、「富国」と共に「強兵」を主張したところである。「強兵」にはお金が要る。が、当時の日本には「強兵」を行うだけのお金がない。だから、「強兵」するためには、まず国が富まなければならないという考えであった。

 日本は今にも植民地化されかねないことは、大国清が英国に「阿片戦争」を吹っ掛けられて敗北を喫したことから明らかである。だから、日本が独立不羈(ふき)を貫くためには軍事増強は喫緊の課題であった。

 が、西郷の言っていることは、「無い袖は振れぬのであるから、兵士の士気を鼓舞するしかない。兵士の士気が高まれば、外交においても引け目を感じることなく交渉することは可能であり、外国に侮られることもない」ということである。が、これが単なる精神論であることは言うまでもない。西郷がこのような精神論の持ち主であったとすれば、明治政府の本流から外れてしまったのも仕方がなかっただろう。

 これは、西欧使節団に加わり、直接西欧文明を目にした大久保利通らと違い、西欧の怖さを皮膚感覚としてもたぬ西郷の弱点の顕(あらわ)れであったように思われる。