『西郷南洲遺訓』を読む(13)農業は最必要か | 池内昭夫の読書録

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 政の大体は、文を興し、武を振ひ、農を励ますの3つに在り。其他百般の事務は皆此の3つの物を助くるの具(ぐ)也。此の3つの物の中に於(おい)て、時に従ひ勢いに因(よ)り、施行先後の順序は有れど、此の3つの物を後にして他を先にするは更に無し。

(政(まつりごと)の根幹は学問を興(おこ)し、軍備を強くし、農業を奨励するという3つのことである。その他いろいろな事柄は、この3つのものを助けるための手段である。この3つの中で、時代の趨勢によって、どれを先にするか、後にするか、その順序の違いはあるだろうけれども、この文武農の3つを後にして、他を先にすることは絶対ないであろう)―渡部昇一『「南洲翁遺訓」を読む』(致知出版社)、p. 41

 林房雄は言う。

《明治初年の発言であるから、この場合の農業は今は工業商業貿易の産業一般を含ませて考えるがよい。農を偏重すれば、農本主義に逆行する。今なお農本主義を唱えている人物もいるが、それは日本を農業国にかえして維新前の3等4等国にするという占領政策のワナにおちいることになる。

 そうだからといって、工業を偏重して野放しにすれば公害のもととなり、日本の自然と人心は荒廃する。商業貿易を偏重し、「平和憲法」を盲信すれば、利益優先のエコノミック・アニマル群を生み、大国の軍備を恐れて後しざりするだけでは、貿易のための対米、対ソ、対中共の拝脆(はいき)外交となり、日本の自主性は失われてしまう。西郷の時代よりも、今の政治の方がむずかしい。農協、総評、日教組、経団連、財界等は、それぞれ政治に対する大圧力団体であり、それに加うるに米、ソ、中共三大国の威嚇があるのだから、この圧力と威嚇に屈服した政治家は事務官僚以下であり、政治家とは言えない》(林房雄『大西郷遺訓』(新人物往来社)、p. 30)

 が、この林の議論よりも、西郷が言うように、文武だけでは事足りず、農を加えて、文武農としなければならないのかどうかを検討することの方が先ではないだろうか。農を産業一般と置き換えて考えるべきかどうかはその先である。

 文武と農業では、その必要性が異なるのではないかと私は思う。文武が最重要であろうことは、一般に「文武両道」が貴ばれる傾向があるところであるから特に異論はないだろう。問題は、どうしてこれらに農業を唐突にも加えようとするのかということである。西郷は、食糧自給を考えているのか、経済的循環を考える際、農業がその要(かなめ)となると考えているのか、それとも健全なる精神を考うるに、人は土に塗れて働くべきで、自然との触れ合いを疎(おろそ)かにすべきでないということなのか等々、西郷の意図が判然としない。

 維新が成って、世界と伍していかなければならない時、農業が大事と言われても私にはピンと来ない。富国強兵に何が必要かと問われて、農業と答えるのは、やはりピンボケのように思われるのである。