明治維新と民主主義(7)日本に人民主権は相容れない | 池内昭夫の読書録

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《明治の維新は、英語では「restoration」と訳されます。reは「再び」でstorationは「貯え」ですから、それは「復古」ということです。天皇が政治の表舞台に近づいてきて、奈良時代のような、日本の古い時代が再びやってきたと欧米人は眺めていた。維新とは復古であり、復古とは維新である。古きものと新しきものとのあいだの繋がりをしっかりと確認するのが維新という言葉です》(西部邁『どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由』(幻戯書房)、p. 199)

私は、1200年以上前に聖徳太子が作ったといわれる「十七条憲法」との類似性に唸(うな)らされる。すなわち「和を以て貴しと為し」「上やわらぎ下むつびて」というくだりである。日本は古来、専制君主制ではなく、政治は皆で行なっていくのが理想と考えてきた国なのである。(百田尚樹『日本国記』(幻冬舎)、p. 286)

 が、私は、政治は<皆で行なっていくのが理想>だとは思わない。「みんなで政治を行う」のは直接民主制であるが、それが可能なのは、お互いが顔見知りの小さな社会におけるものであって「理想」でも何でもない。国家のような規模が大きな社会では、民衆が代議員を選んで、国会での議論を通して政策を決定していく「間接民主制」を採らざるを得ない。

 フランス革命時、その思想的支柱であったジャン=ジャック・ルソーは、主権とは人々の一般意志の行使であり、他人によって代表され得ないと説き、全人民が集会に参加して直接に意志を表明する直接民主主義を唱えた。その亡霊が戦後日本に蘇(よみがえ)ったのである。

 2018年10月29日の国会代表質問で、自民党の稲田朋美・総裁特別補佐(当時)も、

「明治の精神ともいうべき五カ条の御誓文は、松平春嶽、横井小楠、由利公正などによる改革の集大成ですが、広く会議を興(おこ)し、万機公論に決すべし、更に歴史をさかのぼれば、聖徳太子の和をもってたっとしとなすという多数な意見の尊重と徹底した議論による決定という民主主義の基本は、我が国古来の伝統であり、敗戦後に連合国から教えられたものではありません」(第197回国会 衆議院本会議)

と発言している。

 が、西欧産の民主主義は、決して我国古来の伝統ではない。我国は、古来より天皇を戴(いただ)く国であり、人民主権の「民主主義」とは相容れないのである。【続】