佐伯啓思『反・幸福論』(10) ~「敗戦後体制」を改めよ~ | 池内昭夫の読書録

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本を読んで思ったこと感じたことを書いていきます。

今日の日本を支配しているのは、自民党でも民主党でもなく、この「敗戦後体制」なのです。

 マルクス主義者や左翼反体制派が喜びそうな言い方をすれば、戦後日本の「支配権力」は、国家でもなく、自民党でもなく、官僚でもなく、「敗戦後体制」そのものなのです。

 そして実は、もっと大事なことに、この「支配権力」は、われわれの外にあってわれわれを支配しているのではなく、われわれ自身の内にあるのです。「支配権力」は反体制左翼の妄想の中にあるのではなく、われわれの「精神」の内に住みついている。それこそ大衆の中に巣くっているのです。

  戦後憲法、アメリカへの依存と中国への卑屈や尊大さ、経済的利益中心の発想、そして歴史観や戦後的価値、これらはすべてわれわれの精神にかかわる問題です。「支配権力」はわれわれの内部に巣くっているのです。


(佐伯啓思『反・幸福論』(新潮新書)、pp. 228-229)

<戦後憲法、アメリカへの依存と中国への卑屈や尊大さ、経済的利益中心の発想、そして歴史観や戦後的価値>、これこそ私が一掃しなければならないと考えているものそのものである。

 安倍信三首相はこれを「戦後レジーム」と呼び、佐伯氏は「敗戦後体制」と呼んでいるが、戦前を否定する戦後日本の体制を改めることがなければ、これからの日本は推進力を失ってますます沈んでいくことになるだろう。

 明治以降の日本がそうであったように、後進国が先進国に追い付く場合は予め目標が定まっているため、迷うことなく真っ直ぐ進めばよい。

 が、バブル以降の日本のように追う立場から追われる立場となった今問われるのは、どのようにして新たな道を切り開いていくのかということである。

 その原動力となるのは、民族の歴史であり伝統であると私は考える。が、敗戦によって日本の歴史と伝統は断絶され寸断されてしまった。残ったのはフランス革命を源流とする「自由」「平等」「友愛」といった地に足の着かぬ、現実を捨象した価値観である。

 その象徴的存在が日本国憲法である。日本国憲法の「国民主権」や「人権」は、ルソーを始祖とした「革命思想」と軌を一にするものである。歴史的経緯に基づく「権理」ではなく、ただ人間というだけで「権利」を主張し、「国民」を僭称しつつ独裁者が「主権」を収奪するという寸法である。

 ここにあるのは、社会に不満を持つ大衆であり、社会変革を求める「リーダー待望論」である。