昔のガラケーって、公衆電話からの着信はそのまま公衆電話と表示されていましたよね。
スマホになったからか、私の機種がそうなのかはわかりませんが、今は公衆電話からの着信も非通知と表示されます。
この数年、公衆電話からかかってくることなどなかったので気づいていなかったのですね。

最初に彼から連絡が来るときは公衆電話からだろうと思って構えてはいました。
ですがある日、非通知の着信があったのです。
非通知は何か気持ち悪くて、基本出ない私なので、その時もしばらく放置していました。
でもどこか引っかかって様子を見ていたところ、留守電が入りました。

「『俺』だけど…もう一回かける」

数年ぶりに聞く彼の声は、彼独特の虚勢やら不要なプライドが削ぎ落とされたような、聞いたことのない爽やかな感じでした。
名乗られなければ彼と分からなかったかもしれないくらいの爽やかな声でした。
私には色んな意味で戸惑いしかなかったです。
出るべきかどうか、電話が二度三度と鳴っても出られずにいました。
4度目の着信で、ようやく、恐る恐る出ました。

良かった、出てくれないのかと、もう話せないのかと思ったと彼は言いました。
あんなに待って待って待ちわびた彼の出所なのに、その数年のうちに私の葛藤は手離しでそれを喜べなくさせていました。
私からは何を話せばいいのかわからず、とにかく彼の話に相槌を打つばかりでした。

2ヶ月ほど前に仮釈をもらい、予定されていた保護施設にお世話になっていること。
今はパートながらフルタイムで働いていること。
すぐに私に連絡したかったけど、あまりにバタバタしていてなかなかその機会を作れなかったこと。
ようやく少し自分の時間と自由になるお金を手にして、私と話ができてどんなに嬉しいか。

そしてやはり、刑期満了日を迎えたら、私のところに帰って来たい、今後の人生を私と共に生きたい、受け入れてもらえないか?と。

私は、考えさせてくださいと言うのが精一杯でした。
それ以上のことは何も言えませんでした。
こんなはずじゃなかったのに。
彼が出てきたら外の世界で一番先に目にするのは私でありたいと、一番先に言葉を交わすのも私でありたいとあんなに願っていたのに、こうして彼から電話が来た今、私は何故喜んですらいないのだろう。
嬉しさより、とにかく戸惑いしかありませんでした。

答えを急がなくてもいい、満了日まであとまだ数ヶ月あるし、それまでにゆっくり、でも前向きに考えて欲しいと言われました。
わかった、と、ここでもそれしか言えませんでした。

10分くらい彼がほぼ1人で話していたでしょうか。
東北から九州くらいの距離、しかも公衆電話から携帯へですから、その10分でも相当な額になったでしょう。

そろそろテレカなくなるから切るけど、と最後に彼が私の名を呼び、「愛してるよ」と言ったのです。
照れもせずに。

逮捕前の彼は死んでもそんな言葉を言わない人でした。
さすがに手紙には書いてくることはあったのですが、面会でも言われたことはありません。
つまり、言葉で聞くのはそれが初めてだったのです。
驚くより感動するより、まずは可笑しくてたまらなくなり、私は吹き出してしまいました。
どうしちゃったのあんたー(爆)みたいに。

そしたら彼が言いました。

良かった、その豪快な笑い声がずっと聞きたかったんだ。
今日は全然くすりとすら笑ってもくれないし、でも最後にその笑い声が聞けて良かった。
お前の笑顔と笑い声が大好きだから。

そう言って、じゃあまた電話するから出てねと言う言葉でその電話は終わりました。




彼に出した最後の手紙に、私は今一度自分の携帯番号を書いていたのです。
職業訓練中の彼が、郵送で私に宅下げしてきたことが何度かありましたが、一度、不在通知も入らずに彼に戻っていたことがあったのです。
他のお宅に間違って不在通知を入れられたか何かしたのかもしれません。
彼はもう私の電話番号も忘れていて、電話番号を書いて出していれば郵便局から連絡が入ったかもしれないねという話になり、一度手紙で番号を教えていたことがありました。

引受人を下りても、まだ彼の荷物を預かったままだったので、出所してきたらそれだけはなんとかして渡すから電話してくださいと、再度教えていたのでした。
引越も考えているからあなたが出てくる頃にはここに住んでいるとは限らない。
だからいきなり訪ねては来ないように。
でも携帯番号だけは変えずにいるから、出てきたら電話してと。

その時は本当に、荷物を渡すためだけと思っていましたが、振り返ってみるとあれは、私の方も保険をかけていたのかもしれないと思います。
こうしておけば、とりあえず電話は来る。
完全に切れる訳ではないから、その時にまた考えたらいい、そんなずるい気持ちがなかったとも言えません。