引受人ではなくなったことを私自身が、彼の手紙で知らされました。

その言葉の続きとして、もう一度考え直してもらえないか、また引受人になってもらえないかと書かれていたのですが、私にはすでにその気力が残っていませんでした。

 

一度解かれてしまった以上、また観察所の調査から始まるのかと思うと、何とも言えない疲労感に襲われてしまいました。

彼との関係も、その時点では改善するとは思えなかったのです。

とても許せる気持ちにはなれませんでした。

 

しばらく返事を書けずに、数週間は放置したと思います。

 

中の人にとって、途中で引受人がいなくなることがどれほど恐ろしいことか、元受刑者の方々などから情報を得ていましたし、実際それで彼に自棄を起こされたりすることはとても怖かったです。

長い年月をただダラダラと一緒に過ごし、先のことも見えなかった彼との仲もようやくお互いの気持ちを確認しあい、共に生きていく道が見えてきたところでした。

彼を好きな気持ちには変わりなく、でもだからと言ってこのままの甘い考えの彼と生きていけるのだろうかと、自問自答を繰り返す日々でした。

 

そして私は答えを出します。

私にできることは全て全力でやってきた。

自分の行動にひと欠片の後悔もないからこそ、もういいんじゃないか。

 

 

 

返事を書きました。

 

 

 

私は自分の口から引受人を辞めるとは言っていません。

でも下された判断が私を引受人として妥当としていないのなら、それはそういうことなのでしょう。

私は再び引受人になる気はありません。

 

 

 

 

最後に『さようなら』の一言を書くのがどれほどの思いだったか。

号泣しながら、絞り出すようにして、その言葉を書きました。

 

投函したときの、悲しさと寂しさと、それから少しの解放感を、今も忘れられません。

 

こうして、彼との関係に一度終止符を打ちました。