火曜になった、朝立ち。
お隣の青井駅にて。
 
だんだん、冷え込んできましたねー
 
午後は、産業環境委員会がありました。
 
第4次一般廃棄物処理基本計画・案がだされました。
リデュース=ごみを作り出さない

 

少し質問させていただいたのは、この「雑紙」分別用の紙袋について。

みなさんは、これ、どう思われますか?
 
私は、以前から違和感を感じていましたが、わざわざ捨てるために紙袋を作るっておかしくないですか。
リサイクル紙ですが、また捨ててリサイクルされるための紙袋って・・・。

この袋にするための紙を作る過程で、白さを求めるなら(足立区の配布している分別紙袋は、かなり白い!)インキ等異物除去のための薬剤漂白のためのエネルギーが必要になります。

さらに薬品の量や排水処理の負担も増え、エネルギー消費量はさらに増します。

紙製品のリサイクルは、ビニル袋のそれと比べると、91%も多くエネルギー消費がかかるといいます。(米国)
 
リサイクルは、必ずしもいいことばかりでは、ないのです。
 
わざわざ、ごみになるもの(リサイクルするもの)を作らなくても、「雑紙」リサイクルを啓発するためであれば、壁に貼っておくポスター的なものであったり、子どもが、使いながら学べるように下敷きのようなものであったり、短期間で手放すことのない形態で、啓発したらいいと思います。
本来は、すでに家にあって、捨てようと思っている紙袋(リサイクルにだす)に、雑紙をいれて、リサイクルに出せばいいことです。
 わざわざ、捨てるために紙袋を作る必要はありませんし、それこそ環境に負荷をかける行為です。

ここまでは、リサイクル啓発にあたっての前提の考え方。
 
もう一つ、気になったのが・・
この書かれている内容ですね。
みなさんはどうでしょう?
お住いの自治体と比べてみて、何か足りないと感じませんか?
 
本当に大切なのはここ
 
雑紙リサイクル啓発の根幹部分は、
何がリサイクルできて、何ができないのか、その分別の判断にあります。
雑紙リサイクルが敬遠されがちで、なかなか進まないのは、「面倒くさい」からです。
 
紙袋でも、ブランド等のコーティングされたものは、リサイクル「できません」。
紙袋で、普通の紙で作られたものなら、リサイクル「できます」。
ラップの芯で、油汚れがついちゃったものは、リサイクル「できません」。
包装紙で、お弁当を包んでいたもので醤油がついちゃったりしたら、リサイクル「できません」。
線香とか香りのついている紙箱は、リサイクル「できません」。
衛生紙はリサイクル「できません」。
 
何がOKで、何がだめか。
考えなくてもなんとなくわかるようになれば、雑紙リサイクルも進むのでしょう。
 
これは大阪市のものですが、「できないもの」一覧を目立つようにしています。
そこが、大切な部分だからです。
 
そもそも私は「全部燃やしちゃったらいいのに」派なので、東京の高機能ごみ焼却施設に、大いに頑張ってもらいたいと思っています。
しかし、不正確なだけであればまだいいですが、間違った「エコ」が進んでしまう事には、危機感を持ちます。
環境負荷の高いことなのに、「エコ」とか言われてしまったり。
 
環境市民の立場からの「エコロジー」は、産業発展(development)に対し、アンチを唱えます。
SDGs(持続可能な開発目標)も、「D」はまさに「Development」ですから、環境市民的立場からはうさん臭く眺めています。
SDGsが国連で採択されたのが、2015年。
日本では2016年5月に推進本部が作られ、6月に安倍首相が伊勢志摩サミットにおいて、SDGsを前面に打ち出したのでした。
 
本来推進すべきであった「責任あるサプライチェーン」を打ち出したくない安倍政権によって、「持続可能な開発目標」という、多国籍企業への規制強化とは真逆のものに、すり替えられてしまいました。
 
「責任あるサプライチェーン」・・・2011年「ビジネスと人権に関する国連指導原則」が採択される。多国籍企業はサプライチェーンの労働者の人権尊重を確保する責任があり、人権侵害に対し防止する手段を取らないといけないと明記されました。
 
東京オリンピックにおいて、この国連指導原則を取り入れろと、国際NGOからも求めが強まる中で、政府は労働者保護の代わりに「SDGs」として、開発に主眼をおくものへ、すり替えてしまったのでした。
 
一般的に誰も反対しにくい「SDGs」ですが、国際的な労働運動との攻防もあることがらで、積極的に賛成する立場には私は立てません。
 
環境論は、多層的なもので、部分的な視点しか持たないと、見誤ったりします。
難しい問題ですが、社会を多層的に切り取り、考えることのできるところが面白いですね♪
国際的な視点が、大切です。