2018ZENKOの振り返りです。

共感も多く、介護分科会に参加してよかったとつくづく思えるので、介護分科会の内容についてちょっと踏み込んで報告を書こうと思います。

 

 

 

 

 

レポートは4本でした。

 

1.認知症家族会の方より取り組みについて

2.訪問介護の現場報告として認知症の方の事例

3.介護事業所からは小規模多機能での看取りについて

4.足立区でのとりくみから―議会と現場と

 

私も↑4の報告をさせていただきました。

 

今年は関西での開催だったので関西からの参加者が多かったですが、介護現場はデイや訪問介護、老健、特定施設、障がいなどで働く方、行政の立場で福祉部門で働く方、働いてこられた方、区市町会議員、家族の立場など、いろんな人がおられました。

 

 

第1部の口火を切った認知所家族の会、木寺さん(元豊野町会議員)、「今朝の新聞で介護保険料が払えず差し押さえられた件数が過去最高となった」と、深刻な情勢にふれられました。

シンプルに始まった介護保険が年々ひどくなっていること、ご自身が親御さんを介護されてきた思いなどを語られました。

印象的だった言葉は、

「認知症の人は入院させると認知機能が必ず悪化する。だから絶対に入院なんかさせるもんかと思って自宅でみてきた。」

そのため、議員をしていた仕事も改選のタイミングで退職し、介護をしてこられたのだそうです。まさに「介護離職」だと言っておられました。

 

 

第2部冒頭で、事業所と私の報告をおこない、意見交流をおこないました。

自然と、くまハウスさんの看取りの報告と、足立区での看取りを介護計画にいれて欲しいという請願の話から「看取り」についての話題に。

老健施設で「看取り」をされている方からは、スタッフからはできるわけないという声もあったが、話し合いをしてきて、最後のお世話をすることは働いている自分自身の尊厳の回復にもつながっている、というお話がありました。

「死」にふれることを怖いと感じる感覚は、「生きたい」と思うようにできている生命体としては当然の本能です。

看取りをおこなっていくことは、その現代社会で切り離されてしまった「死」を取り戻すことであり、生命としての営みの一部である「死」を穏やかに迎え入れることなのでしょう。

学生の頃、生命倫理学という授業があり、生命とは何かと学んだ記憶に重なります。

 

どう接していいものか、看取りとはどういうことか、提起があり、色々語られました。

特に、家族会・木寺さんの経験が、とても美しい話でした。

在宅で介護してこられたお母さんが、この3月に病院で精密検査をうけ、終末期に入った、と宣告されたのだそうです。

つまり、医療としてはできることはもうない、と。

入院するか聞かれたそうですが、ターミナル病棟に入れば管につながれて家にはもう戻れなくなるため、断って在宅で看取ることとされました。

 

4月、最後の日、親身にしてくださっていたヘルパーさんが前日に「明日は16時頃に来るからね。待っててね」と言い残して帰られて、その翌日16時、ヘルパーさんがこられて「こはるさん来たよ」と声をかけると、にこっと笑いかけて、ひとつぶ涙が流れて、静かにそのまま息を引き取られたのだそうです。

「本当に美しい最後だった」と、語られました。

 

周囲の人は最後はなにもできることがなくなり、ただ「見守る」だけだそうです。

中には見殺しじゃないかという方もおられたそうですが、そうではなく、本人を苦しめる無理な延命をするのではなく見守ることなのだと話しておられました。

 

 

 

そのほか、行政の対応についてもいろいろ現状が語られました。

豊中市の対応がひどい話は、共感する部分が多々ありました。

豊中市の介護行政は、住民要望を「蹴ること」が前提になっていて、これまでの決定を守るために仕事しているように感じるそうです。

 

「公僕なのに汚染されている」

 

…。

 

私の愛読書、新明解国語辞典で見ると「公僕:権力を行使するのではなく国民に奉仕する者としての公務員の称。ただし実情は、理想とは程遠い」。

「実情は程遠い!!」辞典に指摘されるとは…。

 

制度も予算もある中で、なんとかやらせてあげようということが行政になくなってきている、支配して当たり前の感覚はおかしい、それでは介護行政が悪化するばかりとなど課題が指摘されていました。

 

私からも、足立区介護保険窓口の民間委託問題に触れ、公的領域の縮小が政府主導で取り組まれており、行政事務が市場開放されていっている点が追い打ちをかけていることを提起しました。

福祉部で仕事をされてこられたOBの方は、「え!民間がやってるの!」と驚いておられました。

社福法人?

いえ、株式会社です、というとさらに絶句されていました。

 

 

市民が求めるのは、決まってるからこれでやれというのではなく、国のおかしな制度に抗し抜け道を一緒に探しこれで行けると突破させてくれる窓口だと。

土木の部署から来たから福祉はわからない、と言われたそうですが、きちんと人権意識・福祉の理念をもった人に福祉部の椅子に座ってほしい。

 

関西の方の話はラディカルで刺激的でした。

 

 

そこからさらに、年金では老後を過ごせなくなっている問題も触れられました。

生活していく観点から、介護・ケアの在り方を組み立てていくことが大切で、その人らしい暮らしの視点を大切にしたケアプランの作成、ケアの提供を守っていかないといけないね、と。

その人らしく生きることが壊されてきている中で、ひとつひとつのケアプラン作成過程でも闘っていかないと人としての尊厳を守れない、とケアマネさんは決意も語られていました。

 

 

介護・福祉に排除の論理はあってはなりません。

最後に、今後取り組む「介護サービスの切り捨てを許さない署名」の文案が提起され、決議案討議ののち、国に対してモノを申し、現場の声・利用者さんの声を大切にしたケアをめざしていきましょう、と、締めくくられました。

 

密度の濃い分科会でした。

私もいっぱいしゃべれて楽しかったです。

時間を共有したみなさん、ありがとうございました♪

また来年の全交でお会いしましょう♪