足立区議会、H30年・2018年第一回定例会がおわりました。

 

お気づきでしょうか。元号と西暦を併記しています。

これは、この前他市の市議の方たちとお話ししたときに、グローバル時代なのだから他国の人にわかりずらい元号表記ではバリアフリーでないよね、と話題になったことを受けてです。

今回の反対討論でも、両方併記してみました。

 

それはさておき。

第1回定例会が27日に終了しました。

議決の詳細については議会ウェブサイトに掲載される予定です。

 

★2018年第一回定例会 議案一覧

http://www.gikai-adachi.jp/honkaigi/gian/gian2018_1.html

*そのうち、議員各個人の態度表明が一覧サイトの上部に掲載されますが、まだ会派の態度表明しかでていません。

 

中継の映像は、すでに見れるようになっていますが、今回本会議で反対討論をおこなったものについて、全文を以下に掲載します。

 

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<反対討論の内容>

 

「都に対して子どもの貧困率の調査を行うよう要請し、かつ足立区が独自で子どもの貧困率の調査をするよう求める陳情」が委員会で不採択とされたことに対し、反対の立場から討論をおこないます。

 

考えるべきは、何のために「子どもの貧困率」が必要か、ということだと思います。

 

この陳情は平成28年1月には、沖縄県が初めて地方自治体として県内の「子どもの貧困率」を調査し、全国に比べ深刻な状態であると認識を持ったと報道された時期であり、時流をとらえた、タイムリーなものでした。

 

それから2年たちますが、この間、沖縄に限らず各地で子どもの貧困の実態調査・対策などが進み、この陳情がもつ意味もまた少し変わってきていると思います。

 

ほかの自治体と比較する目的で「足立区の子どもの貧困率」を算出するのであれば、あえて予算を投じてまで行うのはどうか、と私も思います。「子どもの貧困対策が必要かどうかわからない」場合であれば、子どもの貧困率を算出し、他自治体と比較する意味が大きいですが、足立区では待機児童・子どもの貧困対策特別委員会も設置され、区長も「貧困の連鎖を断ち切る」ことをボトルネック的課題と位置づけ、全庁あげた取り組みをされている― 足立区にとって「子どもの貧困対策」は重要だとすでに認識されているわけで、陳情では「身近に感じるために貧困率の調査を」とのことでしたが、足立区が「自分自身を知るため」のものとしては、役割は果たされているかと思います。

 

では、足立区独自の「子どもの貧困率」は必要じゃないのか?―いえ、必要だと考えます。

 

なぜなら、足立区には、子どもの貧困状態について、客観的に図る経済的指標がないに等しい状態だからです。

「指標」は、その動向を確認し、施策の実施状況や対策の効果等の検証・見直しをおこなうためのものです。

24の区の指標のうち、「就学援助率」が経済的指標だと言われていますが、問題があります。

 

「就学援助」は申請主義であり、なんらかの事情を抱え「自ら申し込めない」家庭は、経済的に苦しさを抱えていても数値として把握されないからです。

 

ちなみに同様に申請主義である「生活保護」の捕捉率をみると、2002年11.6%、2007年14.3%、2012年15.5%と、この20年ほどの間、10%前半辺りにとどまっています。受給できるにもかかわらず、80%超の人たちが制度から排除されている実態があります。就学援助ではどうか。生活保護と同様の捕捉率であるなら、表れている指標の数値は氷山の一角に過ぎないことになります。

 

子どもたちのおかれている経済的状況を、客観的に表すことのできる指標ではない点、また今回の一般質問でも指摘したように、就学援助の申請を「抑制する力学」が働きかねない問題点もあり、子どもの貧困を見る経済的指標が「就学援助率」しかないことは、「画竜点睛を欠く」と思います。

 

「子どもの貧困率」を足立区で独自に算出し、年度ごとの推移をみる事で、足立の子どもたちをとりまく経済的状況を、客観的な数値として把握できます。より対策が必要か、否か、客観的視点で判断するためにも、子どもの貧困率を指標に取り入れるべきだと考えます。

 

未来を担う子どもたちの「生きる権利」を社会全体で保障することが、子どもの貧困問題に取り組む意義でしょう。

この陳情は、非常に重要なポイントを指摘されていると思います。提出された区民の方に敬意を表し、以上、私の反対討論とします。