5月の選挙の時にも事務所に来ていただき、大きな支援をいただいたzenko神奈川の熊谷さんのお別れ会がありました。

個人的には月桃の花歌舞団でエイサーを踊っていた頃にお世話になった思い出が強いです。
沖縄の瀬嵩の浜でのコンサート、韓国でのミニ公演など、当時京都で私は活動していましたが、東西合同公演の折にはとてもお世話になりました。

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制服向上委員会のみなさんも駆けつけてくださいました。
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スピーチ、うた、踊りありの集い。
昨年11月にガンとわかってから書かれた日記のタイトルは「国家、医療資本から尊厳を奪還する楽病楽生日記」。
病と闘うのではなくあくまで資本との闘いを最後まで貫かれました。

5月17日、区議選の投開票日の日記には「土屋さん当選、大阪都構想廃案、沖縄3万人集会の成功。しぶとく生きていてよかった」とあります。
3月から4月にかけて「リハビリも兼ねて」と足立の事務所に来てくださり、選挙を手伝っていただきました。
感謝でいっぱいです。
53歳でのお別れはあまりにも早い。
社会を変えていこうと闘われた熊谷さんの遺志をついで、頑張っていきたいと思います。
熊谷昌司さん、あなたは皆の心の中に今も生きています。
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