私は京都で学生時代を過ごしました。
寺町二条に住んでいたことがあり、近くには梶井基次郎の「檸檬」にでてくる果物屋や丸善がありました。
古本屋を散歩したり、面白い本と出会ったり。
本屋をホッピングするのは、昔からの趣味の一つです。
今日は用事があって九段下から神保町あたりをそぞろ歩きました。
懐かしい感じの古本屋があり、子ども向けの洋書店があり、思わず数冊の本を購入。
…知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリズムの転向からはじまる。テーマは改憲問題、とありました。
今の話かといえば、これが発行されたのは2002年だし、ここに書かれているのは1956年の丸山眞男のメモのことです。
ふと、6月4日の木曜行動の場で、国会前で叫んでいた新聞労連の方のスピーチを思い出しました。
記者は良心を捨てたわけではない、抗議行動のこと、戦争法案のおかしさなど政権批判の記事を書いている、書いているが編集に採用されない、採用されないとわかりつつも、私たちは記事を書いているんだ、そうして記者も闘っていることをみなさん知ってくださいー
そのような内容だったと記憶しています。
本の帯の言葉、人間的とは何か 非人間的とは何かーの言葉にも唆られて購入しました。
そして、新本ですが「希望の牧場」。
シンプルに、吉沢さんの思いが伝わってきます。
浪江町のフクイチから14キロほどのところにある牧場です。
今も高線量の被ばくを受けています。
昨年一月、私も市民運動のメンバーと共に現地を訪れ吉沢さんの話を聞かせてもらいました。
爆発当時、避難したけれども、決死の覚悟で牧場に戻り牛たちの命のために仕事を続けたこと、見捨てられた憤り、最近牛たちに現れてきている白い斑点の異常のこと。
放射能は見えないし景色は何事もなかったかのようなんですが、手元の線量計は10マイクロとか20マイクロシーベルト毎時とか、異常な数値を示しました。
茂みや山肌は最も高線量だそうです。
事故が起こる前の数値は、0.05マイクロシーベルト毎時です。
見えないことは怖い、そう感じた体験です。
なぜ被ばくして売れなくなった牛たちを生かし続けるのか。
悩みながら日々を生き続ける、熱い思いが描かれていました。
そして思わず手にとってしまった「黒い鳥の本」。
最近、本を買っては「積ん読」になってしまってます。
買った本を先に読まないとなぁと思いつつ、
本との出会いは一期一会なので、出会った時に買わないと、特に古本は2度目の出会いはない!
と、思わず買ってしまいます。
感性を磨くには読書がいいと思うので、ぼちぼち色んな本を読みたいと思います。