どう生きたいかを自分で決めるのは当たり前なんですが、、、


どう死にたいかを決めるのは、なかなか難しいと思った出来事の一つです。


入所した時にはCOPDの末期的な状態でした。病院からはこれ以上の治療はないと言われています。今後の入院はありません。

施設内ではまだ若い70代男性。

酸素濃縮装置で常に酸素をチューブで鼻から吸い込んでいました。


『いつ死んでも良い』『延命はしないで欲しい』

それが希望でした。


入所当初は急激なSPO2の低下があるため、歩行を禁止されていたのに、、、小さな携帯酸素をお供に廊下のソファーまで歩いて日向ぼっこしてる事もしばしば。


駄目と言われてもやりたい事をする。

『行きたい時はスタッフに声を掛けて下さい』と注意を受けているのを『知った事か』って感じでした。


そんな日々が続いたある日、呼吸状態が悪化しました。


悪化が止まらない、、、


入所当初から看取りはそう遠くないと、近いうちに同意書作成を、と言っていました。でも、遅かった、、、対応の遅さは何度言っても直らない師長。(呆れました)


若い頃に離婚。家族と折り合いが悪く、2人居るお子さんの1人は何年も疎遠。もう1人は関わりたくないと冷たい。


もう、施設で流せる酸素量マックスでもSPO2は90%を切るようになっていました。

その酸素流量を増やす時も『上げなくて良い!』『いつ死んでも良い』の繰り返し、、、


でも、その時施設側の都合があって酸素流量を増やさない訳には行かなかったのです。

『看取り同意書』がない中での死亡は、警察の介入があるからです。


『生きることがどんなに苦しいか、分からないから生かすんだ』と、、、苦しい呼吸の中から怒りを込めて。

酸素流量を増やす交渉の時に言われた一言です。


対応がもっと早ければ、どう死にたいかを尊重出来たのでは、、、と。たらればは意味ないと分かってるけど。

思い出すと胸の奥がギュッと痛みます。