1.はじめに
私は自分が胆石を持っているのを知りながら、16年間発作がない無症状(実は兆候を見落としてもいたのだが)をいいことに毎年腹部エコー検査を受けるだけで過ごせて来たが、2010年に至り腹腔鏡下胆嚢摘出手術をせざるをえなくなったので、この経緯・体験をこれから手術を検討中あるいは予定している方のご参考になればと公開する次第である。
これからの記述は当然私個人の理解や考えに基づいているのでひょっとして医学的な誤解もあるやもしれないことを最初にお断りしておきます。
それから若干の自己紹介をしておきましょう。年齢は60歳代、男性、横浜市在住、性格的にはやや心配性。
2.胆石の発見とその後の経緯
①発見したのは1994年頃で今が2010年だから約16年かけて石を育ててきた(最長部38mm)わけである。平たくいえば、雪だるま式に増大させてきたということになる。
発見のきっかけは自分の場合は会社の成人病検診で腹部エコー検査ではなくバリウムの写真で胃のそばに黒い●(これが胆石。術後に医師からはビリルビンカルシウム胆石と言われる)が偶然映っていたというのが、他人様とは異なる点であろう。医師に胆石を指摘され、まず頭に浮かんだのが激しい疝痛発作への不安であり、どう対処すればいいのですかと尋ねた。すると、人により何もなく過ごせる(つまり無症状胆石)こともあるので様子を見ましょうということになった(但しこの時点で薬では私の胆石は解けないタイプとも言われた)。そのときは手術にならずにすみ、単純に喜んだのだが・・・。
②それから毎年腹部エコー検査でチェックすることが停年退職後も継続され、その間、疝痛発作というほどの痛みは経験せずに済んできたのでこのまま手術せず一生を終えれるという期待も高くなり、日常生活では胆石への警戒心は薄らぐ一方であった。
③ところが2-3年前の健診の際、検査技師からも石が大きくなり過ぎてその向こうの状態はよく見えないので癌などが隠れても発見できないので精密検査を勧められた(もちろん、健診結果報告書でも要精密検査にはなっていた)。それで地元の今回入院した総合病院を受診し、CTスキャンもしてもらった。その見立てはすぐ手術すべき状態でもないので経過観察で様子を見ましょうということになり一安心していた。
3.手術決断への経緯
①2010年10月19日夜発作
この日の夕食は18時頃自炊したやや脂ぎったスクランブルエッグとスーパーで買った安いカステラをたらふく食べた。すると20時過ぎから食べ過ぎのきつい症状みたいのが始まった。具体的には右腹部辺りからみぞおち近くへの鈍痛感、膨満感、何とも言えない重苦しさ、ムカムカ感(軽度の吐き気)、不快感、違和感であった。すぐに三共胃腸薬を飲んだが、痛みは消えなかった。それどころかますます苦しくなり、不安が増した。既に通常の病院は開いてないし、最悪の救急車は呼びたくないし、とりあえず夜間診療所を目指すことにした。そこは隣区になるので、バス・地下鉄を乗り継いで到着したら22:30近くでもうその頃には少し快方に向かっていた。とりあえず診察を受け、医師からは必ず翌朝に地元のかかりつけ医にかかるよう言われ、薬をもらってなんとか自宅まで帰り着いた。
②10月20日
特に痛みは出てはいないが、絶食して朝一番で近所の胃腸科医院を受診した。腹部エコーの操作をしながら医師はやはりあの痛みは発作ですと説明し、昨夕の卵が発作の引き金だろうということで脂っこい食事は発作の原因だと言われた。そして発作にもレベルがあって何も転げまわる疝痛発作だけでなく今回の腹痛も胆石発作には変わらないといわれた。そこで思い出して半年前にも今回と同じような痛みがあったといったら、それも胆石発作だろうといわれた。結論的には私の場合は手術での胆嚢摘出での根本治療を勧められ、地元の例の総合病院への紹介状を書いてくれたのですぐに向かった。内科は凄い人々であふれ約1時間後に診てもらうと3つの検査の指示を受けた。まず、血液検査、腹部エコー、点滴でヨード造影剤でのCTスキャンを受け、13時過ぎに再度先ほどの内科医の診察を受けた。大きな胆石もあるし胆嚢は機能してないので手術でとるしかないといわれた(雰囲気的には盲腸を切るような感じ)。しかしそう急に言われてもこちらも他にも当面やるべきこともあるのでといったら、今日明日に決めなくてもよいといわれたので、では後日また相談で段取りを決めましょうかということになった。
③10月21日夜発作
ところが一昨日の発作からたった中1日を置いたこの日の夜18時頃一昨日と同等以上の痛みに襲われだした。夕食には脂っぽいものを食べてなくて、強いて原因っぽいものを探ると昼食の脂っこいコンビニ弁当位しか心当たりは思い浮かばなかった。それはともかく今夜の発作は一昨日の状態に加えて脂汗が出てより痛みや不快感は増したと実感した。そのせいもあって夜間診療所でもらった薬でもあまり効果はなく午前2時頃から痛みが引いてきて4時になってようやく眠ることができた。この間は、いつ救急車を呼ぼうかでも夜中にご近所迷惑だしと葛藤していた。
④10月22日
この日の朝は特に痛みは出てはいなかったので朝食をとってから、例の胃腸科医院を受診しこの状況を説明しやはりこうなったら早く手術するよう勧められた。自分が早期手術へ踏み切るための一種の儀式みたいなものだった。例の総合病院の評価も実際にそこで手術を受けた人から特段の不都合はないことも確認し、また高血圧でかかっている内科医にもそこへも胆石手術で紹介して問題はなかったということも聞いたので近場のこの病院でお世話になろうと決断した。
⑤手術決断の理由
-このまま放置していつ起きるか分からない疝痛発作は想像するだけでも耐えられそうもない。それ以上にそれに怯えての毎日は精神的に負担になる。
-薬での溶解もできないし、対外衝撃破壊術では3cmの大きさにもなった以上破壊しきれないだろうし、中途半端な大きさの石が排出されずに引っかかると困る。それ以上にこれら2つの方法は再発することも多いと聞くので完治は期待しがたい=切るしかない。
-胆石は自然消滅せず、肥大を続ける以上は早く摘出する方が、癌化の予防や石が胆嚢を破ることによる病状のより悪化を防止できる。
-今なら開復手術に比べて傷跡も少なく、術後の痛みも少なく入院期間も少ない腹腔鏡下胆嚢摘出手術を受けられるだろう。
-体力のある内に手術を受けられる。
4.入院・手術への準備
①11月8日
その後発作も出なく他の予定事項もあった関係でようやく11/8に総合病院内科を訪れ10/21の発作発生を告げ手術も早く受けたいと言うと、外科に紹介状を書いておくから11/12に外科を受診しなさいといわれた。また11/11にはMRIの予約をしてくれた(実際にもMRI検査を受けた)。
②11月12日
朝一番で外科のカルテを作ってもらい、主治医となるDrHにこれまでの経過を説明し、問診(既往症など)の上、胆石症と腹腔鏡下胆嚢摘出術(小穴4箇所)の説明があった。私の場合は3cm位の大石があるので臍下は1cmではなくて3cmは切らないと取り出せないと言われた。また癒着等が起こっていれば途中で開腹手術に切り替えることもあると言われたが、その確率の実績はと聞くと明確な返事は返ってこなかったのでちょっと不満に思った。彼の言い分は「%が低くてもたまたま自分が該当すればそれは本人にとっては100%と同じだから」であった。ともかく一番時間をかけたのは手術に伴う考えられるリスクについてであったが、聞けば聞くほど手術したくはないが、昨今の医療訴訟状況を考えれば病院側としてはいたしかたない事情は理解できる。まあこれはインフォームド・コンセント(説明と承諾)行為そのものとも言えよう。
これらリスクのことが我が身に何%でふりかかるかは神のみぞ知るある種、運の世界でもあるので、お医者様を信じてお任せするよりしょうがない領域と考えないと手術なんて受けられなくなってしまう。正に俎上の鯉状態だから。
それでも手術をお願いしますといい、12/2入院、12/3手術ということで予約してもらった。この後は家族を交えての同意と手術に向けての諸検査があるということで次回11/25は家族同伴で来るようにと言われた。
③11月25日
家内共々外科の主治医DrHから説明を受けた。胆嚢の図も用意され、詳しい説明がなされた。特にリスク(危険性・合併症)の部分は文書にされて念入りに説明がなされた。そんなに怖いことが起こりうるならとちょっと怖気付く気持ちがもたげそうになるが、あの痛みとおさらばするためには乗り越えなければならぬ壁、乗りかかった船だから後はケセラセラと割り切るしかないと考えて決心を変えることはもちろんなかった。
Drの説明の後、看護師(ナース、Ns)から入院・手術へ向けての説明と必要な書類が手渡された。同意書は今日この場で書いて渡すのかと思っていたが、12/2の入院時でよいといわれた。同意書以外に入院・手術・術後の日程表(実際には「胆のうの手術を受けられる方へ」という表題で手術前日の入院から手術当日、術後1日目辺りは何がおこなわれるかがよくわかるようになっていて、術後3日目にはもう早ければ退院の可能性が書かれていたが、この表は段取りがよく分かるよくできた表だった)、12/2の入院日に用意して持参するものの一覧表(当病院の場合は貸与品・リース品の類いは一切なく、T字帯・スリッパ・箸含め全部自分で揃え持ち込む必要あった)、入院問診票、入院案内、入院のしおり、お薬に関するお願い、入院費用の請求方法について等を受け取った。その後、入院までに自主的に準備した物は小銭入れ、電話カード(∵携帯電話禁止)、メモ帳(これは便・尿・おならの回数記録や日記等非常に有益だった)、TVカード(院内で購入)、イアホーン、アイマスク、耳栓(これも隣りにイビキのうるさい人が実際に来たので重宝)、本、時計、髭剃りなど。
これらの説明後は手術に備えての最終確認の諸検査を受けた。それは尿検査、血液検査、心電図、肺活量、X線(胸部・腹部)で麻酔との関連もありそうなものも含まれてた。
5.入院は2010年12月2日(手術前日)
①朝10時に入院カウンターにて受付し、すぐ麻酔科受診を指示された(家内帯同)。麻酔科では問診後に絵入りの2ページの説明書に基づいて説明があった。ここでも説明書にサインを求められた。絵には硬膜外麻酔の様子と体につながれる機器類や管類が描かれていてぼんやりとイメージは沸くが、ロボットみたいであまり気持ちよいものではなかった(裸同然に近い格好のようだ。寒くはないのかななどと想像、しかし無意識下では麻酔医が体調全体にも気をつけてくれている筈と信じて)。
要点は今回は初めて聞いた硬膜外麻酔(素人にはなんか関係ないとはいえクモ膜下出血とか連想したり、脊髄近くで本能的に怖いイメージ)と全身麻酔を併用するという。
硬膜外麻酔は術後の痛みを抑えるのにも利用できるメリットがあると書いてあったが初めて聞く専門用語でもあり私の意識の中ではメリットより恐怖感の方が勝っていた。体調については麻酔医がしっかり監視してますから安心してくださいとでも言っていただくと我々患者も安心したのにちょっと麻酔医のPR不足の印象を持った。最後は本人と家族の同意サインをとるのは手術同意と同様であった。確かに他人のホームページにはこのまま逝かされると不安なんて記述のあるものもあったが、これも信頼しておまかせするよりない事柄である。第一事故率は一般的には凄く少ない確率だからそれは殆ど起こりえない話と考えてよかろう。
②この後は暇つぶし後に病院食堂で昼食をとって、昼一番でまた入院センター待合所で呼び出されるのを待ち、外科病棟へと向かった。
③病棟の看護師(Ns)に記入してきた手術同意書と問診票を渡し、家内も一緒に入院にともなうインフォームドコンセント的説明・質問を受けた。手術前後の詳しい説明書4頁(タイトルは「全身麻酔で手術を受けられるみなさんへ」)が配られイメージが沸けたのはよかったが、やはりいやなこと(痛そう、怖そう、恥ずかしそう)もやはりそういうことかという感じで捉えられた。
また、事故防止(本人確認)のためバーコード付き腕輪がはめられた。この後、病室に案内された(荷物は大き目旅行バッグと紙袋の2つ)。
④そこは6人部屋の大部屋だった(1人分は空きなので5人になった)。スペースは2畳あるかどうかの狭さでカーテン1枚での仕切りだから隣りの音(いびきやがさごそ音)には悩まされる予感があったし、事実そのとおりであった。
⑤夕食までの間にへそ掃除と上腹部除毛のためにNsがやって来てその後でシャワー。
⑥17:16頃主治医のDrHが様子見にきてくれ、明日の手術は頑張りましょうと励ましてくれ、多分時間外だろうのにありがたかった。
⑦夕食は18時ごろ配膳された。流動食だった。内容は重湯(米の研ぎ汁状)、イチゴのムース、コーンスープで全然腹応えはなかった。いつも飲んでる降圧剤は飲むのを許されたが、明朝(手術当日)は禁止された。
⑧就寝時間直前の21時前に下剤を飲まされたが、翌朝まで効果はなし。また他院と違って睡眠剤は配られなかった。
⑨21時になると病室内の天井灯は消されたが、廊下からは光が漏れてきていた。第一、急にいつもより少なくとも3~4時間早く寝ろといわれても寝床の固さも違うし手術前夜という気持ちの高ぶりもあって、予想通り簡単に寝付かれる筈もなかった。その内に周りはいびきの大合唱となりますます目は冴えた。また、夜中でも同室者や他室者のトイレに行く足音(場合によってはカタカタと点滴台を引きずる音付き)とか夜勤のNsの話し声とかでいつもの我が家の環境と比べるとはるかに寝づらかった。その内うとうとしながら3時以降は疲れもあって少しは眠れた気分はあった。しかし朝6時ごろにはもう起き出した他室の患者の声・音で目が覚めた。
6.2010年12月3日(金)(手術当日)
そして、いよいよもっとも緊張する手術当日の朝を迎えた。寝不足の割りにそれほど気分は悪くない(気持ちが高ぶっているせいかどうかはわからないが)。この日は朝から絶飲食、降圧剤も飲めない。
①7:40にNsが計った体温は36.5度(平熱よりは若干高い)、最高血圧160代だった(飲んでると140代)。特別に気分悪いというほどでもない。
②7:48には主治医のDrHが見え、体調を聞いたうえ、今日は頑張ろうねと励まして行った。期待していない時間での出現だったのでありがたい気持になった。色々先生も気配りしてくれてるんだと感激した。
③7時頃浣腸すると言ってたのに、実際は8時過ぎにNsがきてやってくれた。処置されるとすぐ便意を催して来て、そう我慢できる状態ではなかった。排便はNsに見せるように言われてたので連絡すると見に来て「沢山出ましたね」と言って帰って行った。
④9:45頃、渡された手術衣を羽織る。ペランペランとしてしている(ちょっと寒そう)。脇には着脱・開閉をすばやくするためだろうかファスナーがついている。
⑤9:50に点滴しようとして失敗。輸血にも切り替えるように太い針だけに通常の血液検査の針より痛かった。悪いと思ったか自信がなかったのかNsが自主的に選手交代してくれて2回目は成功した。ソルデム3A輸液3A500mlと書いてあった。いよいよ未経験の世界が迫りつつあるなという気分であまりTVを見たりや本を読むという気にはなれなかった。10:15家内がきて少し落ち着く(手術日だけは面会時間帯は特例)。12月とは思えない暑い部屋だった(昨夜25度)のでいったん帰宅して着替えて10:50再来。
⑥12時からの手術開始に備え、11:34にはトイレ(排尿)をすませ、T字帯(フンドシ)を付ける。こんな姿で手術室でやはり寒くないんだろうかとは思う(風邪引き易い体質なものでと普段はむしろ厚着だから)。
⑦胃管の挿入:
手術室へ行く25分前の11:35になって若い女の研修医?が先端に麻酔薬らしいのを塗ったチューブ(直径3mm位ありそう)を鼻から胃へ通そうとして「ゴックンゴックンと飲み込んで」というのであるが、ちょうど食道と気道の分岐点と思しき辺りでつかえて苦しい。違和感・拒絶感から吐き出したい気分でがまんできず咳き込む。やっぱり予想通りトラブッたし、痛い・辛い!!。目から涙がポロポロだ。予想通り自分にはこれと同じであろう胃カメラは飲めないと思った。他人のホームページにも同様に苦しんだという体験記を後でみてやはり自分だけではないんだと納得した。
手術開始時間も迫っていたのもあったのかこれも選手交代した若い男性研修医?がなんとか食道経由胃に挿入してくれた。チューブと注射器をつなぎ空気を送り込み聴診器で確認していた。それにしても喉の奥に当たっている違和感・不快感・痛みはもういやだという気分。
飲み込むときゴックンと飲み込めと言われたがこの苦しみは一刻も早く抜いて欲しいという気持ちだった。胃カメラと違って好きな方向に曲げられないから難しいようなことを言っていた。それつけてもこの胃管は予想通りの苦痛・いやらしさであった。(ただ主治医が術後リカバリー室ですぐ引き抜いてくれたのは非常に嬉しかった。)
⑧手術室前迄は帽子をかぶり、ストレッチャーではなく車イスに乗せられ、前にはT字帯だけの下半身隠すのと防寒の見地と思われるがバスタオル(硬膜外麻酔時に必要)と毛布をかけて移動した。家内も一緒に手術室の前までついてきてくれた。手術室のドアーの前で「頑張るね」と言うのも自分は眠らされていておかしいし(∵頑張るのはむしろ医師団)、「じゃ、2時間後に」と言って家内とは別れた。手術室に入るとストレッチャーに乗り換えて移動した。手術室の構造はよく分からなかったが20mはゆうに移動して行った様に感じた。いくつか部屋に分かれているのだろう。天井にはTVドラマにあるようなライトではなくこじんまりした感じのライトだった(考えてみれば患部はカメラとモニターで主にみるので大げさなライトは不要)。
⑨麻酔:
手術台のそばに横付けされると、まだ麻酔はかかってないので促がされて意外に幅の狭い手術台に自ら乗り移らされるとすぐ初顔の麻酔医(男性)が声をかけてきたので挨拶を交わした。そして横向きで背中を丸めるように言われた。バスタオルがかけられ、確かなぜかT字帯も外されて、Nsと思しき女性が上から隠すように動かないように押さえてくれた。これって殆どすっぽんぽんだなと思った。このあとも尿管カテーテルが差し込まれるはずでそれも恥ずかしいし痛いだろうとは想像するものの無意識下のことでもあるし考えてもしょうがないと思った。麻酔医はもっと丸くなってくださいと言いながら背骨を何箇所も押しながら硬膜外の位置決めを慎重に探っているようであった。時間は10分は少なくともかけた感じであった。やがてちくっとしますからと言って消毒後に針を刺してきた。脊椎に損傷を与えないでという不安感・恐怖心もあって、予想とおりちくっとレベルよりは強い鋭い痛みを感じた。それですぐ麻酔薬が注入され始めただろうと推測したのだが、途中で麻酔が足りないので追加しますとか言ってた(こっちが痛みを訴えてないにも拘わらず)。これも予想だが背中には細いカテーテルが多分留置されたはずである。
再び、仰向けにさせられるやいなや血栓予防用の白い弾性ストキングがぱっと被せられ、左腕には血圧計が巻きつけられ、胸には心電計の端子が貼られ、確か指先にも何か(パルオキシメータ?)がかぶせられ、そして鼻と口を覆う酸素マスクがかけられたまでは覚えていたがその後は何にも覚えていない。人工呼吸のための気管挿入というのも無意識下で行われた筈だが、後でそれの名残りで喉が痛いと感じたことは全然なかったが、自分の声が少しかすれ声になった感じがしたが、それが名残りなんだろう。
後で聞いた話では摘出手術自体は1時間半くらいかかったようである。手術が終わるとポケットベルで呼び出された家内は摘出された胆嚢と胆石をみせられ、説明を受けたということだった。
⑩次に意識が戻ったのはリカバリー室に戻った後でそこで家内と顔を合わせ無事手術が終わったことを知りほっとした。まだ意識は朦朧とした状態で部屋の時計を見たら14時半前位だった。逆算すると14時頃からは覚醒させて自発呼吸に戻して名前を呼んだりの過程があったはずだがその記憶は全然ない。15時頃には家内も帰した。あしたは14時過ぎて家族皆で見舞いにきてくれるというのでそれを楽しみに過ごすベッドで回復を待つのみ。
⑪リカバリー室では色々な装置・器具類とつなぐ関係で居住空間は約倍の4畳位あった(4床)。Nsが1~2時間おきには検温、検圧、点滴交換(栄養剤、抗生剤)に来るし、枕元では酸素発生装置の回転音、足元ではマッサージ器の稼動音、おまけに心電計の誤作動による警報音それにいびきで夜中も熟睡はできなかった。
⑫17時には主治医がやってきて病状を確かめて、気にしていた鼻管を抜いてくれいやなものが一つ解決されたので嬉しかった。また、ベッドの中で左右に寝返りする方がよいといわれ90度ほどの回転は何度もやった。それと摘出した大石1個を記念にもらった。後に家で計ったら、38mmx26mmもx厚さ21mmある大きなもろい石だった(14gと軽い)。黒っぽくて川底の汚れた石という感じで湿っぽい。それ以外にも砂利状の小さな胆石もあったと後に聞いたので、発作はこの小石がコロコロ動き狭い所で引かかって起きたものと想像できた。
⑬明け方近くになると、ずうっとで仰向けに寝てばっかりだったので、腹筋も疲れたという感じで、体は動けそうだったのでつい半身をベッドの上で起こしてしまった。その瞬間に背中に違和感・痛みを感じたのでNsを呼んだ。当直の若いNsがきてくれて背中を調べすぐベテランNsを呼んでくれた。そのベテランNsは実にてきぱきと背中の血止めや包帯の交換、そしてさらなる出血がおきても周りを汚さないよう産褥時に使うようなガーゼの帯みたいのを巻いてくれ、ついでに身体清拭もしてくれた。見事なトラブルさばきでさすがプロと感じ入ったので、お名前を聞いてしっかりと脳裏に刻み込んだ(今度再会できたら絶対もう一度謝辞を述べたかったので)。
7.12月4日(術後1日目)
①朝7時頃から排尿したい欲求を感じていたが、カテーテルつけたままで出そうと頭で指令しても出た感じがしなくて、寝たままが悪いのかなと思って半身を起こして頭で指令し直しても尿は出た感じがしないので我慢している所へ8時頃に主治医がきたのでカテーテルをとってくださいとお願いしたら、9時にNsが増えるのでそれまで待てと言われた。実際はその後は膀胱が破裂するのでは位の感じになってパニックったので、しつこくNsコールした結果、ようやく引き抜いてくれた。もうその時は恥ずかしいとか痛そうなどと考える余裕もなくて、ただ一刻も早く早くというせっぱつまった心境だった。抜いてもらったらすぐトイレへ直行し排尿したが、予想通りひりひりしたものの血尿は出なくてとりあえずすっきりして、ほっとできた。原因については不明のままだが、なんかのはずみ(例の明け方に半身を起こしたのが原因かも)で管がよじれたか、接続部が外れたとかの可能性はどうなのであろうか?ともあれこの尿管カテーテルは痛そうという心配ばかりしていたが、このようなトラブル時の患者側の対応(例えば管のつながりをチェックして欲しいと要求)とかも事前に考えておけばよかったが、正直何も研究していなかったので、対応策も浮かばなかった。
②朝、驚いたことにX線撮影機を病室まで運び込んでX線撮影と採血が行われた。
③午前の主治医の回診でもう腹腔ドレーンを抜いてくれた。チューブもついていたようである。ガーゼを取り替える。
④午前中で一連の点滴もおわり、知らぬ間に針でなく小さな点滴用の接続管みたいなのに変わっており、逆流止めをして包帯で腕に巻きつけられた(これで点滴台との共同行動ともおさらば)。これは新たな点滴が必要になったときこの穴を再利用するためらしい(また新たに針をさされずに済む)。歩行はしろということだったのでおそるおそる前かがみで歩いてみた。歩けるが、スピードは出せない。おじいさんになった気分であった。
⑤12時にはリカバリー室から2日前の病室(6人部屋)に戻ったら6人になっていて一人は既に退院しその後にもう新しい人がきていた。
そして手術後初めての食事が出された。5部粥だが、味付けといい全然問題はなくおいしかった。久しぶりにお腹が満たされたがげっぷは出た。
⑥15時過ぎには家族(家内、息子、娘夫婦)が見舞いにきてくれ元気つけられた。話す場所がなかったので、喫茶室まで行った。本当は術後初日なので勝手に飲食してはまずかったろうが、みんなの顔を見て元気つけられて、紅茶にバウムクーヘン一切れを飲食した。おいしかったし胃腸の負担感はなかったが、満腹した。
昼間ちょっとお腹にシクシクと痛みを感じ、かつヘソ周りの腹筋が少し痛く感じたので(ひょっとして硬膜外カテーテルが抜けて痛み止めがきかなくなってたかも)若い医者(研修医?)に言ったら痛み止めの頓服を処方してくれたので、夕食後飲む。その後は運よく頓服は使わずに退院日まで過ごせた。インターネットの体験記には結構術後も痛みに悩んでいる人をみかけたが、自分に限っては痛みで悩むことはなくてよかった。
⑦夕食は軟菜全粥ということでおかず込み4品ほど出た。ちゃんとしたお粥に煮魚、みそ汁、刻んだ野菜の煮付けの小鉢でおいしかった。
さすがに絶食後だから便は出ず。げっぷやオナラは出た(結構Nsに聞かれる)。なお、まだ回復が十分でないのかカラっとした空腹感までは至らない。お腹の辺が頼りない感じもある(力いれたらなんとなく痛そうという思い込みのせいかもしれないが)。
⑧夜はやはりいびきや夜勤Nsの話声や足音に悩まされる(光より音が気にかかる。アイマスクは圧迫感から使えず)。
8.12月5日(術後2日目)
①9:08 日曜に拘わらず主治医が回診にきてくれた(感謝)。傷具合もみてホッチキス?をこさげ落としてとったみたいだがちくっとした痛みもしなかったのでよくわからない。ひょっとしてテープだけで傷口を止めているのではないかとも思えた。腹周りの青じんだ内出血みたいなのはその内消失するから心配するなといわれる(一言何が原因でそうなったと言ってくれてもいいのにと思うがこっちもその内直るだろうと思っているので聞きもしなかった。多分、手術台からの落下防止か術中不意に動くのを抑えるために拘束でもして圧迫したのだろうと勝手な想像)。
お腹がかゆいのは傷が治りかけかと聞いたら、傷口に貼ったテープ(絆創膏?)にかぶれたからといわれる。
また、あさって12/7(火)に退院しようと思えばできるよと打診されるも、もう1日位居りたいけどというとそれでもOKというので、今後の回復具合見てお願いしますということで合意。
②Nsの巡回ではおならの回数やら尿の回数は今日に限らずよく聞かれる。お腹に聴診器を当ててよく動いてますねーとかいうNsもいる。
③午前中は廊下を行ったり来たりのウオーキング(へっぴり腰は直らず)、真ん中辺のエレベーターホールで一休みしながら他の患者と互いの手術の情報交換をする。自分は軽い方の手術なのが実感できる(手術時間、入院日数)。
④14:30には手術後初めての待望の大便が出た(軟便で量も大したことないので、手術前の残便かどうかもわからないが)。
⑤夕食は軟菜全粥食で白身魚のアルミフォイル蒸し、大根おろし、野菜の茎を刻んで煮たもの、ジャガイモを1/8カットして煮たもの、みそタレ、お粥といったところ。
夜中に2回もトイレに行くが下痢状態。やはり消化力の回復が遅いのか?
9.12月6日(術後3日目)
①7:20 下痢状だったのから柔らかい便へと改善がみられてきて回復を実感する。
②7:30 主治医回診。明日でも明後日でも退院可といわれたので便の回数・質も考慮して一応明後日(12/8)の線で内定。シャワーの使用も許可される。
③9:17 (朝食後だが)柔らかい便というより下痢。退院1日延ばして様子みれることになってるので安心。排尿時の痛みは既にすっかり消えて安心。
④9:30 久しぶりに入院後初めてのシャンプーですっきり。傷口に防水テープ貼ってるとは知らなかったので頭はしっかり洗い、傷口は避けて体を洗った。
⑤14:30 昼食後、本日2度目の軟便というより下痢便。
⑥夜は周りのいびきの合唱で熟睡できず。隣に来た人が認知症らしく夜中の12:20にウオーとか大声だすので目が覚めた。おまけにすぐいびきとくるからここで耳栓が役立ったが、安眠はできなかった(隣人がどんな人が来るか運まかせの大部屋の悲哀、個室との差がそこに)。
10.12月7日(術後4日目)
①7:30 回診あったので、昨日の下痢状態報告したが、徐々に改善されるので心配ないと言われる。食べ過ぎるなとも言われたのでこの後の食事は食べすぎ警戒でお粥は半分残した。これが下痢便から軟便へ(固化)のよき流れに繋がった。
②10:20 また主治医が顔を出したので(ひょっとして暇もあるのか、もう気にはならない状態なのにとお節介に推測)、傷の痒さをいうと残っていたテープをはがしてくれた。
③13:50には昨昼以来の排便。下痢状より改善され軟便レベルに固形化。
④12/3リカバリールームでにお世話になったベテランNsが昨日部屋にきたとき声でわかりお礼をいう。今日は夜勤だということだが、快活にその患者にあった声かけをしながら甲斐甲斐しく働く姿はやはり患者思いのプロである。この出会いの実態から、12/3夜勤、今日12/7も夜勤ということで4日に一度は徹夜があるということだ、ご苦労様。消灯時間前に例の隣人が大声をあげ、たまたま彼女も近くにいたのかかけつけてきて話す機会があったので昨夜もそうだったよと言うと別の離れたところに隣人を移してくれた(20:25)。やはり気が利く。
11.12月8日(術後5日目:退院日)
①7:25 Dr回診。今日退院ということで先生に礼をいう。摘出した胆嚢の顕微鏡検査結果を尋ねるが、まだ出てないといわれる。退院後の外来受診日(12/14)に行って結果確認すると、癌とかの問題なかったことがわかり一安心。
②10時過ぎには会計(3割負担で約17万円)をすませて退院へ。