本日とても勉強になる経験をさせて貰いました。

私は21歳の大学生で物理を専攻しており、心理、社会学には全くの初心者ですが、この鮮烈な体験を記録、共有したくこのブログを書かせてもらいます。多くの方の考えも知りたいのでリブログ、拡散してくださると助かります!コメントも待ってます!


以下は決してご年配の方々を貶したり、馬鹿にしたりする意図はございません。長年の人生を歩んでこられた朗らかな笑顔の方々がなぜ、病気の話で盛り上がっていらっしゃるのか気になり、考察しました。


おそらくお年寄りが病院や病気の話を活発にする背景には、いくつかの心理的・社会的要因が関与していると考えられます。


それに至った理由を説明します。


やはり幾つになろうと人間は共感とつながりを求めるもの。私が目にしたお年寄りは、共通の話題を通じて他人とつながりを持ちたいという欲求が少なくともあったと思います。なぜなら病院や病気の話は、多くの高齢者にとって日常の一部であり、共感を得やすい話題になるのは当然のことで私が友人と恋愛話をするのとおそらく同じです。このような話をすることで、同じ経験を共有している他人との絆を感じやすくなるのではないでしょうか?


また、ヒトの本能的な経験の共有の必要性からではないかと考えます。病気や治療の経験は、その人にとって重要な出来事です。特に高齢者にとっては、健康問題が生活の大きな部分を占めることがあります。こうした経験を共有することで、自分の人生の一部を他人に理解してもらいたいという無意識の思いが満たされ、同時に存在意義の確認もできると考えます。


なぜなら病気や治療の話をすることは、自分がどれだけの困難を乗り越えてきたかを共有する方法の一つだからです。これは若い人で言う仕事の話や学歴等に当たるのではないでしょうか?


これにより、自分の生存力や忍耐力を示し、他人からの尊敬や関心を引くことができます。これは特別なことでも、おかしなことでもありません。特に、高齢者は社会的な役割が減少することが多く、自己の存在意義を確認する手段としてこのような話をすることがあって然るべきだと考えます。


さらにこの行動は注意とケアの引き寄せにも繋がると考えます。病気や健康問題を話題にすることで、家族や友人からの注意やケアを引き寄せる力を持てます。それにより高齢者は孤独感を感じやすく、病気や健康問題が在るなかで問題を共有することで周囲の関心を引き、サポートを受ける機会を増やすことができます。他人からの理解は救命に繋がります。つまり、万一の際に迅速にサポートを得られる可能性が高まると言うことです。


ここで思い返せば私は幼少の頃、興味のベクトルは自分自身もしくは手に触れられる物に限られていました。話の話題も誰々君があの玩具を買って貰ったから僕もほしい!などが良い例です。 やがて思春期を迎え他者との関係や距離感に悩み興味のベクトルは外へ強く向き、同時にその反動も受けました。恋愛に悩まされているのが良い例です。おそらく将来はこの内外へ向けるベクトルは調和し合い、他者も自分も傷つかず共感し合えるように成熟していくのだろうと推測します。


よく言われる、大変高齢になると赤ちゃんに戻るというまのがありますがそれは間違いで、確かに体は衰えていくが、その一方で、それとなく自身が感じる不安や欲求を伝えられるようになる最強のコミュ力を手入れたと言えるのではないでしょうか?


以上より、お年寄りが病院や病気の話をすることは至極当然なことでありこれらの行動は、社会的なつながりや心理的な安定を求める自然な表れであり、他人とのコミュニケーションの一環として理解することが必要なのではないでしょうか。


ある年齢層に広がる話題は往々にして彼らの状況を生々しく反映し、同時にある自分と異なる年齢層のことを知りたかったらその輪に無理やり入ってコミュニケーションをとろうとするのではなく、まず彼らの会話に耳を傾けなければならないと痛感した1日でした。