更級日記(1)春秋のさだめ | 日本音楽の伝説

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平安時代の女流日記文学の一つに、『更級日記』(さらしなにっき)があります。著者は、菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)。彼女は、菅原道真の6代目の子孫に当たります。

また、彼女の母は、『蜻蛉日記』を書いた藤原道綱の母の妹。

すごい文学血脈の方です。『更級日記』は、幼少の頃から50代までの回想録ですが、短い文章で、コンパクトにまとめられています。

他の日記文学と異なり、『更級日記』には一つの特色があります。

それは、「夢のお告げ」が多いこと。

天神・菅原道真の子孫であるためか、シャーマンとしての素質があったのか、夢に守護霊があらわれて、法華経を勉強せよとか、天照大御神を崇敬しなさいとか、晩年には、雨の中に、阿弥陀如来の姿を霊視したりしているのです。

 

学者先生の中には、このような記述が多いため、『更級日記』を軽視したり、彼女の精神状態を疑ったりする方もいらっしゃるようですが、こんな学者はバカです。

伝説や伝承文学から、奇瑞や奇跡を取り除いてしまったら、夢もロマンもなくなってしまいます。そもそも文学も成り立たなくなってしまうでしょう。庶民というのは、不思議な奇跡や奇瑞や英雄伝説が、いつの時代も好きなのです。平安時代は、夢のお告げは常識でした。右大臣・源実資の日記、『小右記』を開いてみれば、権力者でさえ、夢のお告げをいかに気にしていたかがわかるでしょう。

それはさて置き、『更級日記』にも、芸術や音楽に関する様々な記述があります。まずは、有名な「春秋優劣論争」から、ご紹介しましょう。

彼女も宮中に仕えていましたが、ある時、彼女が同僚の女房といるところへ、源資通(みなもとのすけみち)が話しかけてきました。


<更級日記> 四十四段 春秋のさだめ (現代語訳 by 荒川)

星の光さえ見えない暗い夜、時雨が降る中、木の葉にかかる雨音に、風情を感じていた時のことです。源資通様が声をかけてきました。


「こんなに暗いと、逆に風情がある夜といえます。

月の光が、隅々まで照らすように明るいと、はっきり見え過ぎて、具合が悪く、返って恥ずかしいこともありますね」

そして、春と秋の優劣について、お話しました。

「時節に従えば、春霞は非常に趣があります。空も長閑(のどか)にかすみ、月も霞で明かる過ぎず、遠く流れるように見えます。

そんな春の夜に、琵琶で、風香調の曲を弾き鳴らすと、実にすばらしく聴こえます。

一方、秋について言えば、空が霧に覆われていても、手に取れるほど月が明るく輝く夜には、風の音も、虫の声も、まるで(秋の風情が)凝縮されたような気持になります。

さらに箏を掻き鳴らし、横笛を吹き澄まされたりすれば、春などよりも、ずっと秋の方が良いと思われます。

そうかと思えば、寒い冬の夜、空気が天まで冴えわたり、雪が降り積もって、月と雪が光輝いているところに、篳篥(ひちりき)の音が震えるように、わななき聴こえてくると、春や秋の風情も忘れてしまうほど、素晴らしいと感じます」と、語り続けました。

資通様は、私たちに向かって「春と秋では、どちらに惹かれますか?」と、尋ねられました。

(同僚の女房が)秋の夜に心を寄せられます、と答えたため、私も同じ様に秋です、と答えるのは避けようと思い、

  浅緑 花もひとつに霞みつつ おぼろに見ゆる 春の夜の月

と、和歌でお答えしたところ、資通様は、繰り返し、私の和歌を吟唱して、「それでは、秋の夜への思いは、捨ててしまわれたのですね」

  今宵より 後の命のもしもあらば さは春の夜を 形見と思はむ

と、返歌を詠まれました。それを聞いて、秋に心を寄せた私の同僚は、

  人はみな 春に心を寄せつめり われのみや見む 秋の夜の月

「お二人は、春に惹かれてしまわれたようですね。秋の月は、私一人で眺めるのでしょうか」と、詠んだため、資通様は困った表情をされ、「唐の国でも、春秋の優劣論争は決着がついていないようですね」と、お茶を濁しました。

そして、自分自身は、冬が一番好きだと論点をかく乱し、苦しい中に論争を終わらせたのでした。

※『枕草子』や『更級日記』を読むと、平安時代には、日本人の芸術感覚、季節感はすでに確立されていたと思います。もし現代人が、1千年前の平安貴族と春秋の優劣を議論したら、きっと負けてしまうでしょう。

 

 

 

 

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