実在者が菩薩になった人 はだ~れ?
っと以前に書き込みましたが


菩薩になった4人の僧の名前が 解りました(^_^)/


行基、忍性、 叡尊 、 役小角(役行者) の4人です。



◆行基菩薩
◆忍性菩薩
◆叡尊 →興正菩薩
◆役の小角(役行者) → 神変大菩薩


以前 伊勢さんから下記の菩薩様を教えて頂きました

 
 >馬鳴菩薩、龍樹菩薩は実在したそうです。


私の書き方があいまいでいけなかったのですが
(なんせそぞろ歩きの小耳にはさんだだけだったので)
正確な情報として書けていなかったので申し訳なかったです。

]
奈良検定の最上級「奈良まほろばソムリエ」の問題で
奈良所縁のある人物で菩薩になった人との問いだったかもしれません


◆行基菩薩

天武天皇のご尊信を受け743年東大寺大仏建立に際し勧進を務め
745年に前例の無い大僧正位を授けられ、更に749年遷化(81才)に当り
「大菩薩」の号を賜り、以来「行基菩薩」と呼ばれる、

◆忍性菩薩

忍性 は ライ患者救済とか色々慈善事業されていた方のようです。

北山十八間戸(きたやまじゅうはっけんと)は、西大寺の僧 忍性 によって
建てられた癩者の救済施設です。北山十八間戸は般若寺のすぐ南

◆叡尊(興正菩薩 )

叡尊は興福寺の僧の子として生まれ、17歳のとき出家
以後は密教の修行をつみますが、まわりの密教僧が堕落しているのは
なぜかと考えるうちに、その理由を戒律が守られていないことに見いだし、
戒律を学び、戒律の復興運動に勤めるようになります。

叡尊が目指したのは、自分だけの悟りではなく、
衆生を全て救おうとする菩薩の道

したがって戒律についても柔軟な考えをし、寺に閉じこもらず
積極的に社会事業に携わっていきました。橋や道路などを整えたり、
多くの寺院を復興し、また女性にも広く戒を授けました。

叡尊は誰でも仏となることが出来るという立場(悉有仏性)から、
らい病患者といった弱者の救済にも力を注ぎました。


◆役の小角(神変大菩薩)

役小角(えんのおづぬ)は、役行者(えんのぎょうじゃ)で
修験道の開祖 として尊崇される人物である。

寛政11年(1799年)には朝廷から「神変大菩薩( じんべんだいぼさつ)」の
号を贈られている。葛城山生まれ



う~ん こりゃ~分からないです さすが最上級問題!


お盆らしく~ かどうか分かりませんが~


発心集(説話集)より 「蓮花城の入水」

鴨長明と登連は歌人仲間

長明は登連自身からこの話を聴いたのかもしれない

面倒をみていた蓮花城という名の聖から、

「臨終の際には心を正しく往生を願いながら死にたい
ついては自ら入水して死のうと思う」 っと相談された。


自分で死の瞬間を定めて、心の用意をして死ぬというのである

初めは反対した登連も 本人の熱意に負けて準備をしてやり
桂川での実行に立ち会う

高声に念仏を唱えつつ入水する姿を多数の人々が感激して見物した。

修身行といって、わが身を仏に捧げて死ぬのを貴しとする伝統があった。



だが・・・・


当人は、実は後悔していたのだという

「止めて欲しい」っと目で合図したのに気付いてくれなかった。

っと亡霊となった蓮華城が登連に恨みを言いに現れる

あの時、恨めしさに臨終正念を妨げられて魔道に落ちたという

大勢の見物人への見栄もあって 自分から引き返せなかった。


お前は、止めてくれるどころか せき立てた。
っと全く勝手な恨み言を言い現れる


蓮花城は(聖と呼ばれていたけれど)ごく普通の人間だったのだろう~

自分の心を隅々まで理解する事・ 制御する事は困難である

彼自身 、己の心のはかり難さに手を焼いていたのだろう~

っと発心集で長明は書いている


上記 古典への招待から鑑賞のポイントから抜粋しました。

何故か この話 心に残りました。

原文は

かくて 日比(ひごろ)ふるままに 登連 物の怪めしき病をす
あたりの人あやしく思ひて こととしける程に 霊現れて
「ありしの蓮華城」と名乗りければ 「この事げにと覚えず
年ごろあひ知りて 終わりまで更に恨みらるべき事なし
況や 発心のさま なほざりしならず 貴く終わり給ひしにあらずや
かたがた何の故にや 思わぬ様にて来たるらん」といふ

物の怪のいふやう 「その事なり よく制し給ひしものを、わが心の程を知らで
いひかいなき死にをして侍り さばかり 人の為の事にもあらねば
その際にて思ひかへすすべしとも覚えざりしかど

いかなる天魔のしわざにてありけん・・まさしく水に入らんとせし時
忽ちにくやしくなんなりて侍り・・

◆解説者は 
 表現が見事 鴨長明の思考と分筆力を誉めていた。

◆私
原文 読めて理解できたらいいのだけど ・・
やっぱり 無理なので現代文で楽しみます(^_^)/
お盆らしく~
奈良・猿沢池の「六道の辻」 の事 ご存知ですか?
猿沢池の52段と呼ばれる階段の下は、
この階段を入れると6本の道が集まっている
それで、ここを「六道の辻」と呼ぶそうだ

六道とは、仏教では迷いのある人間は死んでも涅槃に入れず
六つの世界を輪廻して生まれ変わる という

天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道

猿沢池の近くに住んでいる人は、お線香を持って
六道の辻まで行って火をつける
ご先祖様があの世から帰ってきて
線香の煙に乗せて家まで連れて帰る~
各家によっては橋までお迎えにいくとか
家の場所が少し違うだけでお迎え場所(聖地)が違うそうです。

六道のうち、 五十二段の階段は「天上道」
階段を上りきれば そこは興福寺・・仏の境地に達するとか・・・

っと 書いてあったのを読んだ事がある・・・
(私そのものは仏教の事あまり知りません )
わたくしめ ふと思った

猿沢の池の周りの道が六道 ならば
天上道の階段を上りきったところが 仏の境地 ならば

六道の辻の真ん中にある「猿沢の池」は なんなんだろう??
そのことに関しては 何にも書いていない・・ (*^_^*)
お盆 って、 関東と関西では日程が違うとか聞きました?

関東では7月、関西(西日本)は8月なんだとか
お盆といえばどこでも8月だと思っていました。
知らなかったです(*^_^*)


◆平群(へぐり)という地
奈良の観光案内やガイドブックで、
平群を紹介しているのを見たことがない

私も30年以上奈良に住んでいるが、
平群で知っているのは「道の駅」だけ

で、私の愛読書「月刊大和路ならら」今月号の特集は「平群」

ん?何々 平群には

長屋王のお墓 ・ 日本武尊国偲びの歌・
在原業平ゆかりの十三峠(街道)
島左近(←あまり知らない)・
聖徳太子と物部守屋の戦い所縁の

で最寄駅は 「~竜田川 からくれなゐに水くくるとは 」
で有名な 竜田川


◆悲劇の王 長屋王の墓がなぜ平群に?

本「ならら」からの抜粋

この地の古代豪族・平群氏は藤原房前の養子になり
藤原の平群と名乗っていた。
藤原氏との関係が深いこの土地に、
藤原氏と敵対していた長屋王は眠っている・・

特集には 藤原氏ゆかりの地に、
なぜ 長屋王の墓があるのだろう?

っと疑問を投げかけていた。

「平群」・・こんなに興味深いところだとは !?
 全然知らなかった・・・

先日 「田原本」を案内してもらって色々発見がありました。
新鮮な発見でした

に続いて 平群 (まだ行っていないけど)

歩いて 3時間で回れそうなので ぜひ行かねば~(*^_^*)
また行きたい所を発見してしまいました♪(*^_^*)

奈良には 興味深いところがいっぱ~い

先日、入会はしていない講座だけど 単発で受講できると知り
「履中天皇と石上神宮」というテーマが面白そうなので
 受講してきました。

古事記 日本書紀 十訓抄など 他 色々な書物から

大江の耶本和気命(おおえのいざほわけ) (履中)
墨江の中つ王・(天皇になる前に亡くなる)
蝮の水齒別の命(たじひのみずほわけ) (反正)
男浅津間若子の命(おかさっずまわくご) (允恭)

ご多分に漏れず 上記の兄弟間での皇位継承絡みの話
兄弟間で殺そうとして、倭の石上神宮を目指して逃げる

◆なぜ難波から大和の石上神宮を目指して逃げたのか?

石上神宮の性格
武器庫 神宝(かんだからといって・武器 刀剣が沢山ある)
玉・魂振り・鎮魂・依代・ の他に 「アジール」がある

◆「アジール」ってな~に?

アジールの色々
1、王の身体(これに手を触れると、いかなる重病人も捕える       事ができない)

2、特定の家(逃げ込めば殺人者でも殺す事ができない)
3、屋敷内の一郭(郭内への逃亡者は保護される)
4、高僧や王などの墓・墓屋
5、神聖な村・町
6、寺院・神殿・教会などの聖所
7、神樹
8、神聖な森

◆石上神宮は、アジール(逃げ込み施設)だった!

命を狙われた皇子は難波から大和の石上神宮を目指して逃げる

   ↓

逃げてきた皇子をかくまう
 
   ↓

追いかけてきた人は(石上神宮は聖域だから)
それ以上手が出せない


◆アジール という言葉は、戦後 禁句になった・・
 (なぜ禁句になったのか理解できませんが・・)

◆鳥居の元になったポールの木の鳥のはにわ の話 とか

◆地元のお年寄りは 今でも石上神宮の事を「ふるの神さん」
 と呼んでいる とか、色々なお話を聴いてきました。

古代は(も)苦手なので 知らないお話が多かったです。(*^_^*)

話を聴いてからお参りしたら また趣が違うかもしれませんね

「藤原一族の光芒」の最後の現地講座

は 雨の行軍になりましたが殆ど(45人)参加でした。

JR宇治集合
平等院  喜撰橋  塔の島 石造十三重塔 朝霧橋  宇治神社
橘放生院 恵心院 宇治上神社 三室戸寺  う道稚郎子の墓
宇治橋 橋姫神社 JR宇治で解散


◆平等院・・
元々は源融の別荘だったのを藤原道長が
長徳年間(995年頃)に買い求め山荘にした。
次の頼通が仏寺に改めた。

◆鳳凰堂
入堂は 1時間待ち という事で諦めました。

 鳳凰堂を見た 外国人は 「ワンダフル!」
        日本人は 「ほぉ~お~」

  駄洒落ですよ~(*^_^*)

◆源三位頼政ノ墓
平等院にありました。知らなかったです。

 むもれ木の 花さくこともなかりしに
 みのなるはてぞ かなしかりけり ---頼政最後の歌です。

◆鵜飼
宇治川に鵜飼があるんですね~
 女性鵜匠のポスターが船着き場に貼ってありました

◆宇治川
朝からの雨降りで 増水シタ宇治川の流れが激しくて
怖かったです。
天ケ瀬ダムが放流している為、水かさが増すばかりで危険っと
中之島へ渡る橋が閉鎖になるとの事で、それまでに中之島で
傘を差しながらお弁当を食べました。(*^_^*)

   色々な話は 省略して

◆う道稚郎子(うじのわきいらつこ)の墓で

う道稚郎子は仁徳天皇の 異腹の弟
父親の応神天皇の寵愛を受けて皇太子となったが、
自らは年若く。その任にあらずと辞退。
兄のオオサザキ皇子(仁徳天皇)の即位を勧めたが、
兄は 父 応神天皇の遣勅を重みし これも辞退

う道稚郎子は自らの存在が兄の即位を邪魔していると
考え自殺 する

 自殺となっているが・・真相はわからない・・
 との説明でした。

父親(応神天皇)が 末息子の う道稚郎子 を溺愛しすぎた
皇位継承の悲劇 ・・・皇位継承の悲劇どれだけあるやら・・

◆橋姫神社

  さむしろに 衣かたしき こよひもや
  われを待つらむ 宇治の橋姫
  
橋の神は一般に女性で嫉妬深く
宇治では嫁入りの行列が祠の前を通る事は禁忌
京の嫉妬深い婦人が (浮気者の)夫を恨んで
生き鬼となり路人を悩ました。その祟りを鎮める為
に宇治橋には橋姫を祀った欄干の中ほどに窪んだ箇所が
あった 今は少し離れた橋姫神社として祀られている


わたくしめ思うに・・ 一夫多妻制の悲劇ではないかと・*^_^*)

っと 色々書きましたが 殆ど聴いた話と資料の転記です。
自分の知識不足を自覚しました。(*^_^*)

雨の行軍でしたが 参加して良かったです。

私は 今回から初めて受講しましたが
他の人は10年間継続受講されておられ人気があります。

次回の講座テーマは 「古代豪族 物部氏の軌跡」

 はい もちろん 継続受講申し込みました♪

年に一度受信している特定健診の結果を聞きに行って
今年の先生から大変なお叱りを受けました!

「内科を受診するように」というアドバイス 
5年間続けて言われていたが受信したことがなかった。

「悪玉コレステロールが高い(150)、
今から2か月間 運動など自力で頑張ってください 
そして2か月後もう一度来てください。それでおちなければ

薬を服用で落とさないといけない」

歴史ウォーキングなどは好きなのに、「歩く目的の歩く」は

する気になれなかったけど、やっと重い腰があがりました。

今までずっと、私は夜型人間でしたが、心機一転 アドバイス通り

 朝30分歩き始めました。

朝4時40分起床 5時に自宅をスタート さてどこを歩こうか?
 
平城京方面の北コースか? あるいは藤原京方面の南コースへ
進もうか?  コース決まらぬまま 気の向くまま 出たとこ勝負

早朝ウォーキングの始まりはじまりぃ~

初日は、ごみの日だったので、枯れた花の処理する為 お墓へ寄りました。

すると早朝5時だというのに すでに4~5人の人がお花の差し替えに来ていました。
地蔵堂にはすでに手を合わしている人もおられました

南向いて歩く・・ふと見上げると 西の空に真ん丸お月様を発見♪
明けきった早朝の澄みきった青空に ぽっかり くっきり~と浮かんで見える♪

この時期の5時と言えばすっかり明けています。
まさかお月様に会えるとは! で あの万葉歌を思い出しました。

「東の野にかぎろいの立つ見えてかえりみすれば月傾ぶきぬ」

急いで東の空に目をやると、三輪山麓になのか鈴鹿山麓なのか

名前も知らない山並みから 煌煌と朝日が昇っていました。

こうなると この際 月の沈み落ちる瞬間をも見たいっと思い立ちました。

家並み山並みで遮られている道を避け お日さまとお月様どちらも見える川べりを歩きました。

しかし お月様はなかなか沈んでいきません・かたや 東の空の輝きは広がるばかり

もう諦めて帰ろうかな~と思いつつ、未練がましく川べりを進んでは戻り 

月の方向に目をやる為に 後ろ向きで歩いてみたり・・・(*^_^*)

※早朝 後ろ向きで歩いていたら変な人と間違えられますね 

月を見ているうちに気が付きました。

お月様はストンと沈み落ちる前に、消え入るように輪郭が薄くなってゆくんですね。

お日様が勢いを増すにつれ うっすらお月様になって
注目していないと気が付かない存在になっていました。

で うっすらお月様 やっと雲に中に沈みかけたのを
観て自宅へ帰り始めました♪

発見♪
お日様は 真東から昇るのではなく やや北東方向から昇り 
お月様は南西の方面におちてゆくのですね~

理科とか苦手だったので常識の事なのかもしれませんが
私にとって大発見でした♪

「歩くノルマ30分 3000歩」は超え
「1時間ちょい 9000歩」歩きました。
 ノルマ大幅に達成です♪

早朝歩くようになって、洗濯は前夜に済ませるので 
以前より家事がはかどります。

今日で2週間続きましたが 
目的のうえ●と は、なかなか・・・(*^_^*)、

昨日は,国際奈良学セミナーハウスでいつもの藤原氏を受講
ここは登大路の県庁との交差点、旧世尊院の広い土塀の中
門は閉まっていたので、木戸から入ると 扉内側の注意書きに
「鹿が入りますので扉を閉めてください」 て、 奈良らしい(*^_^*)
講座テーマ「藤原氏の何度かの危機」
光明皇后立后の時
不比等死後
四家の死後

仲麻呂出現までの間、光明皇后の政治力で危機を乗り超えた話
持統天皇と光明皇后は2大女傑とか 興味深い話を聴きました。
この講座の話を書き出すと、長くなるので~割愛(*^_^*)

午後は、オリエンテーリング
行先は、不退寺→佐紀古墳群→磐之媛命陵 佐紀神社→西大寺

西大寺駅で ハート型のうちわを持った人に遭遇 ハート型うちわ初めて見ました。
この日は、唐招提寺のうちわまきの日だったんだぁ~ すっかり忘れていました。

磐之媛命陵の前で、
先生は この媛は非常に人気がある。特に女性に人気がある~
情熱的な歌を詠っているっと話された。
ちなみに、男性に人気あるのは雄略天皇(巻1・1)っとも。

以前、「古事記を読む」という市民講座で聴いた時の先生は
磐之媛命は非常にやきもち焼きで仁徳天皇は大変困っていた と話された。

って、同一人物なのに表し方が違いますね←歴史によくある話ですね(*^_^*)
で、古墳や池の横をそぞろ歩きしていると・・・、何かのはずみからか
先生は、「昔は物やありとあらゆるものには魂があるっと考えられていた。
だから物に対して感謝やら畏敬の念が生まれる。
その感謝の気持ちで接するから(万葉集など)歌が作られる。
無機質なただの物と思っていたら、感謝の気持ちも生まれない 歌もできない~」っと。
我が家の田んぼ、一番大きい田んぼのど真ん中に
50センチほどのこんもりと盛り上がった小山がある。

夫は 全ての田んぼへの田植えが終わると 「「ろうそく持ってきて~」と
家に帰ってきて玄関先で声をかける
足元がどろんこなので脱いでお家へ取りに上がれないからです

私は大阪の町で生まれ育った人間 田植えも農の事もよく分からず
「何でろうそく?」と不思議そうに聞いた事があった。

いわく
「田んぼには神様がいてはるんや~ その神様に、田植えが無事終わった事を
報告をする為 神様に明かりを灯して感謝の気持ちを伝えるんや~」 と言った。

稲刈りも同じく 終えた時にろうそくを灯し感謝の気持ちを伝えている

夫は普段は不信心な人間です が これだけはずっと続けている。
おそらく 父母 祖父母等々 代々している事を見てきたからでしょうね。

もしこの小山を ただのこんもりとした盛り土とだけしか認識しなかったら
手を合わす事もろうそくを灯す事もしないでしょうね~(感謝)
万葉集には恋の歌が多い 素直に恋い慕う心情を吐露している
昭和にも万葉人に負けない位の恋をした女性もおられる
私の好きな中宮寺 におられた美貌の門跡尼僧の話

中宮寺は聖徳太子の時代からの由緒あるお寺
皇族の女の子が入ってくる 格を重んじてきたお寺
美しい門跡尼が35歳の時 失踪した。
高校生の時から茶道と華道を習いに来ていた19歳の大学生と
仲の良い姉・弟の親しさだったが・・・

あらぬ噂がたてられ、忠告めいた通告が老尼僧の元に届いていた
老尼僧から叱責を受けた夜、門跡尼はいなくなった・・

35歳の責任ある立場の女性(門跡尼僧)と19歳男子大学生との恋・・・

昭和29年の初冬の事
時々、奈良散策をご一緒する年配女性は言った。
「尼僧と大学生の恋の逃避行」と書かれた新聞記事を今も覚えている
「そんな自由な時代になったのかな?時代は変わったんだなぁ~」と思ったっと

尼僧は6歳の少女の時代から35歳まで過ごしたお寺の生活を捨てて
15歳の歳の差を乗り越えて の恋を選んだ。

以前 法華寺のひな会式に行った。
お堂に上がらせてもらって会式を待っていると、
尼僧が一人二人と しずしずと現れ 30人ほどの尼僧の読経が始まった。
法隆寺のお会式で聞いた男のお坊さんの読経とは全然違う
男性僧の読経はドスっとお腹に響く  尼僧はやはり女性 響きが優しい

法華寺 会式  読経す尼僧の中に 20代後半か30代半ばの若い尼僧が
2~3人おられた。一心に読経するお若い尼僧に見入ってしまった。

心の中で聞いていた。 どうして出家という生き方を選んだの~?と

いくら 黒衣を着て 化粧気のない素顔で  髪を剃った姿でも
香しさがほとばしる やっぱり女性・・
中宮寺の恋 に戻って
6歳の時に入寺したのであれば 自分の意志で入寺という生き方を
選んだのではないでしょう・・・

35歳美貌の女性 運命の出会いをしてしまった ・・
恋に落ちるのも致し方がない・・

結局 二人は 翌年結婚した そうで~  よかった ♪
以前、奈良学・大和学で有名な先生の講演を聴いて、
その帰り 図書館に寄ってその先生の本を借りて帰りました。


講演の内容は 古代豪族の話 主に 和珥氏一族

よく側を走っている和邇下神社 が この一族ゆかりの地とか
柿本人麻呂は和邇 氏の支流だとか 全然知らなかった。


という話は前にしましたので おいといて


借りてきた本の中に 伝書鳩の話が出てきた。


講師が新聞記者(文化部担当)時代の話 昭和27・8年頃


奈良県の都祁村への取材は 交通の便が悪くて日帰りでは帰れなかった。
(当時は名阪国道がなかったので)


今なら大阪から西名阪~名阪国道 と数十分で行けるが
日帰りできないとか 秘境 という感覚に驚きましたのに


で、取材を終えて 新聞社に少しでも早く報告しないといけないので
伝書鳩に通信文とフイルムを筒に詰めて密封して、鳩の背中にくくりつけて
新聞社大阪社の屋上の鳩小屋めがけて 「無事届いてくれ!」っと祈りを込めて
空へ放ったそうな!



伝書鳩5匹を籠に入れて取材に連れて行く ・・って・・驚き!

昔の新聞記者さん って、大変だったんですねぇ~


宿泊先に本社から電話がかり、 鳩が無事戻ってきたと聞いて安堵した。 そうです


今は 通信文も写真も即時に送信できますね


伝達方法 もうこれ以上の進化はないじゃろ~と思う位 便利になりました。

これ以上もっと 進化するとしたら どんな風になるのだろう~?

ポチポチっと一文字づつ打つのがめんどくさい! てなことになって
頭の中で モニャモニャ  と つぶやいたら そのまま送信できる

本当のツイッターになる・・・

なんてことはないですよねぇ~(*^_^*)