みなさんの桜便り(写真) 楽しませてもらっています。

私は写真撮らないので(デジカメ買ったけど・・)
皆さんの写真を楽しませて頂いています (*^_^*)


さくら便りに誘われて新聞の片隅で見つけた
心惹かれたフレーズを思い出しました。


◆ 身の奥の 鈴なりいづる さくらかな~


   はかなく咲き乱れ

       
◆ くちびるを かすめてゆきし 落花かな


 
 さくらの歌ではありませんが


◆ さようなら 霧の彼方も 深き霧

◆ 迷子です  自分探しの  旅の果て


◆ 敗北は  何で北と 書くのだろう


  
ホントだ 敗南 敗西 敗東 とは言いませんね

 
人間の感性 素晴らしいですね。表現力も~です 



以前、万葉文化館の傍にある酒船石で
「ここら辺の遺跡の石は、天理から来ている~」
という説明を聴きました。
斉明天皇が運河を造らせて運んだとの事

   へぇぇぇ~~

天理で石が採れる?! 酒船石遺跡の石が天理の石?!
この運河って、あの 狂心の渠(たぶれごころのみぞ)の事!?
「狂心の渠」 って、天理から飛鳥の事だったの !?

    へぇぇl~~

天理から飛鳥まで って・・・遠すぎるやん~
にわかに信じがたかったがそのままにしていました。

先日、天理埋蔵文化発掘発表が文化センターでやっていました
別用事で近くに行ったので ちょっと覗いてみました。

パネルを順番に進んでいくと ・・・
    んん?

「天理砂岩」 ?

説明文によると
日本書紀の斉明天皇二年条には 天皇が土木工事を好み、
天の香久山の西から「石上山」まで運河を掘らせ、石上山の石を
飛鳥へ運んで、「宮の東の山」に石垣を積ませた
と記されています。
こうした不要不急の土木工事は民衆の反感を買い
この運河は、「狂心の渠」と揶揄される事になりました。

石上山 とは 天理の 豊田山丘陵 を指す らしい
豊田山に産する「天理砂岩」が使われた という事が分かっています

と記されていました。

    おおおお~
天理から飛鳥まで 距離長すぎる
と思ってしまって にわかに理解しにくかったのですが

古代の事を 現代の感覚で理解してはいけませんでしたね
先週は、2回ウォーキングに出かけました。

◆雨の中

行先は 田原本~唐子・鍵遺跡~ミュージアム
あまり観光ガイドブックには載っていないコース
良いですね(*^_^*)

以前、宇治で土砂降りの中、傘を差しながらお弁当を食べた
経験があったので、屋根のある唐古・鍵ミュージアム内での
食事は大変ありがたかったです
ボランティアガイドさんが 弥生時代の文化を 丁寧に
説明してくださいました。


◆晴れの日

桜井市とJR主催のの大和古道紀行
行先は 「忍阪街道と横大路万葉歌碑めぐり」

※ 忍阪(おっさか)・・男坂(おとこざか)が 転化 なまった らしい


桜井駅をスタート直ぐに、レトロな商店街へ入りました。

横大路
この道は 西へ行くと 竹ノ内街道~大阪太子町(聖徳太子)へ
東へは、長谷から伊勢へ続く伊勢街道

なんか こういうのん良いですね。
わくわくします♪
この道の向こうは知らない処へ続く とか

この峠を越えたら都へ入るとか ~想いが巡ります。
追分もありました。追分という響きも良いですね♪

忍阪街道を 茶臼山古墳~生根神社~舒明天皇陵 鏡女王押坂墓~
そして 石位寺 へ 到着

「石位寺」
私がこのコース参加した動機は この石位寺♪
NHK歴史ヒストリアで紹介しているのを見てから
一度、行きたいと思っていました。


けれど ここは無住寺 連絡して開けて頂かないといけない 
忍阪集落の皆さんで大切にお守りされている 白鳳時代の
石造浮彫 薬師三尊像 とても綺麗でした。
次は 栗原寺跡  へ 向かう が
そこへ行く道は 「男坂伝承道」 ずっと坂道 登り坂・・・
名前の通り? きつい・・・途中までしか行けなかった・・
他の人は(5.60人) 登りきったようです。

私は、小さな可愛らしい二宮金次郎像を見ながら
皆さんが降りてくるのを栗原公民館で待ちました。

雨の日も 晴れの日も 奈良散策  よかったです(^_^)/
今日は 法隆寺会式の日
行く予定していたけれど、諸々で行けなかった 残念!
今年は何回か法隆寺方面へ行きました。
◆西円堂の追儺式
節分の夜 赤青黒3匹の鬼さんが松明振りかざす儀式
◆上御堂の特別公開へ
日頃は御目文字できない釈迦三尊像(国宝)、四天王に会ってきました。
毘沙門天に踏まれている邪鬼の手に蛇がつかまれていました。
係りの人に
「金堂と上御堂の四天王を見比べてごらんなさい
同じ四天王でも、時代によって表情や衣装が違う」
と教えて頂き、金堂と上御堂行ったり来たりしました。
   「本当だ!確かに違う!」
◆日本最古?の条里制 が残っているところへ
斑鳩中央体育館の辺りの「条理の森」奈良時代住所
「平群郡九条10里1坪 北東の角」
◆法隆寺の西里へ
法隆寺の西大門前の重厚な家並みで
法隆寺を支える人々の生活する集落
さらに西へ そこは藤の木古墳辺り もう新しい家並みになる
家の前を掃き掃除をしている年配女性と話をした。
「法隆寺という地名に憧れてこの地で家を買った人は町名変更で
法隆寺という地名がなくなってがっかりしてはりますよ~」
◆斑鳩文化センターへ
法起寺展へ、丸瓦に大根の文様が珍しかったです。
で、以前 現地講座で講師の方に教えて頂いた
「法隆寺にまつわる七不思議」を思い出しました。
◆法隆寺の七不思議 (伝説)
1、法隆寺にはくもが巣をかけない
2、南大門の前に鯛石とよばれる大きな石がある
3、五重塔の上に鎌がささっている
4、不思議な伏蔵がある
5、法隆寺の蛙には片目がない
6、夢殿の礼盤(坊さんがすわる台)の下に汗をかいている
7、雨だれが穴をあけるべき地面に穴があかない
昨年8月、吉野の宮滝遺跡へ行きました。

宮滝醤油を買って出ると
丹生川上神社への道案内の看板があり
誘われるように行きました。


そこは丹生川上神社の中社
そこで 丹生川上神社は 上社・中社・下社の
3社あると教えて頂きました。
で、その勢いで 上社 下社をまわり ご朱印を頂きました


そんなご縁で 丹生川上神社に親しみを感じ
丹生川上神社シンポジウムが橿原神宮であることを知って
即申し込みました。


内容はとても充実していて書ききれません
資料がないのが残念ですがお聴きしたこと
羅列してみました。


◆第一部
千田稔先生のお話
ヤマト王権の経済的基盤 コメ と水の話
倭屯倉 ヤマトのミヤケ の話
(1時間たっぷり お話してくださったのに
 書ききれずに申し訳ないですm(_ _m) )

◆第2部
奈良新聞社の方と千田先生と
丹生川上神社3社 上社・中社・下社の宮司さん
でのシンポジウムの内容は
 
 ↓

◆吉野(水の源流)と橿原神宮との係わり
◆丹生川上神社はなぜ3社あるの?
◆「蛇口」 水道 なぜ 蛇の口(みずは神から)

◆丹生(にう) → きふね(貴船)

◆同じ水の神様である水分神社と丹生川上神社の違い

◆絵馬
 止雨祈願 雨乞い祈願に何故 馬が献上されるの
 白馬黒馬(止雨 雨乞い) 同時に奉納したらどうなるの(*^_^*)

◆鮎
 魚へんに占うの故事

◆感謝という言葉の反対語は?
 何だと思いますか?と聴講者に問われ

   
んん ??

「感謝」の反対語って・・ 何だろう?
「感謝しない事」 って・・?

と思い浮かばないまま 答えは出ました。

 
「 当たり前 」

「感謝」の反対語は「当たり前」


水道の蛇口をひねったら水が出てくる

当たり前の事のように思いがちですが
当たり前ではありませんね


感謝しないといけない事 沢山ありますね 
てっちゃんではありませんが
大宮の鉄道博物館に行ってきました

東国に着いた日も翌日も鉄道博物館
家人・趣味のおつきあいです(*^_^*)

で、機械的なことは、何度聞いても
さっぱり分かりませんが興味を惹いたのは、
鉄道史

ボライテイアガイドさんの
掲載パネルの鉄道技師「島氏の話」

この方は、鉄道設置する時
広軌(レールとレールの間が広い)を主張

狭軌(レールとレールの間が狭い)主張派と
激しく論争


で、内閣は 狭軌式を採用


 広軌主張の島氏 敗れたり!
  この事は鉄道史100年のミス!

      ↑
(ガイドさんの口調のまま)


   ふ~ん・・・


ガイドさんの話続く


息子は、鉄道技師で、新幹線の開発に携わり
孫は、台湾新幹線に携わった。

父  息子  孫  3代  鉄道開発に貢献したなんて

  
  なんか感動しました。


で、現在は 新幹線など 島氏の主張通り
広軌が採用されている そうな

  うんうん 良かった 良かった 

東国2日間 鉄道博物館 以外どこへも行かなかったけれど
神社仏閣以外の 鉄道にも 色々 歴史があるんだなぁ~


先人のご苦労を思い感銘して帰りました。










講座を受けて来た。

近鉄・生駒駅が開設される前はキツネか狸のでるようなところ
だったが,駅が出来てからの発展はすさまじい

とか

法隆寺~天理間も鉄道できる予定だったけれど
地域住民の反対によりできなかった

とか

生駒トンネル工事は相当の困難を極めた 

とか

で、話を聴いているうちに以前読んだ、

近畿鉄道の自叙伝の本思いだした。
   ↓

夜10時過ぎ、大軌(近鉄)上本町事務所

殆どの人も居なくなった事務所に支配人は残り、
みんなに支払わないといけない近づく給料日の事を考えていた。

 そこへ若い社員が飛び込んできた!

 「 大変です!あさっての乗車券がありません!
  注文していた印刷屋が断ってきました。
  
  大軌(近鉄)はお金払ってくれないので
  現金でないと印刷しません 」 っと

  乗車券ないとお客さんを電車に乗せられません !

  他の印刷屋も聞いてみたが断られましたし
  版(型)から作らないと印刷できません
  あさっての乗車券に間に合いません !

  こんなに皆頑張っているのに 切符無くなるなんて・・
  神も仏もないもんやろか・・・・・」

支配人「そ そ それや!!よし 行こ!」

雨の中、番傘を持って雨着を羽織り
奈良行きの電車に乗った

若い社員 行先も分からずついて行った。

生駒駅に降りて、山を登り始めた。

雨降る細い山道は ぬかるんで歩きづらかった 
ズボンの裾をまくりあげ、体の弱い支配人は
ぜいぜい言いながら 深夜の坂道を登る。

民家はもうない 

この先は山の中腹には 生駒山宝山寺(生駒聖天)

若い社員 「お寺へ行かれるのですか?」

「そうや~お賽銭借りに行くんや あす早朝 
現金届けないと切符印刷してくれへんのやろ~
      
こんな時間に 現金のあるのは お寺の賽銭ぐらいやろ」
道は険しい、
お寺さん 起きておられるやろか?おられても
お賽銭は小銭 そんな額で印刷代足りない・・・ 

不安を抱きながら ゼイゼイ 休み休み 登る 
もう深夜1時になっていた。

  (略)

  
切符印刷の目途ができ、ご住職が熱いおかゆを
ふるまってくださった。朝日が差し込んでいた。


奈良県に住んでいると、近鉄電車は足 

なにげに乗っている近鉄電車にそんな事があったんだぁ~

 ふ~ん・・・・・

本 「近鉄創世記 東への鉄路 上」の冒頭
 
今日 受講した内容に触発されて思い出して書いてみたくなった。
かなり端折ったけれど~


 
物部氏所縁の地めぐりの現地講座から

◆天の川
近鉄生駒駅から磐船街道をバスで終点 北田原駅へ着いた
天の川沿いを歩いていると大阪府交野市に入っていた。

この天の川ってあの七夕伝説のところ♪

織姫即ち呉の国からの織子をこの地に住まわせた事から
この伝説が生まれた近くに織物神社もあるしぃ~

で、歩いていると、
生駒市(奈良県)と 交野市(大阪府)と 四条畷市(大阪府)
3つの市境があった。3つの市が隣接しているなんて 面白いな~


◆磐船神社へ到着
大きな石(貝原益軒は長くて船の形に似たりと書き記している)が
物部氏の始祖が天孫降臨の地

境内に洞窟があって 500円で入洞可能でしたが
頭の直ぐ上に巨石がある 石段を下りて入ってゆくのだけど
狭くて手すりがなくて 足元が濡れていて 危険と入洞中止  

あまり知られていないけど本当にパワースポットという感じでした。

境内に天誅組の伴林光平の歌碑があった 崩し字すぎ・・
捕まるのよね~この人・・

◆清滝街道を天誅組の伴林光平は京都に向かって逃走中に
奈良奉行に捕えられてしまった・・

もしも 天誅組が倒幕に成功していれば ・・・
坂本龍馬の出番はなかったはず・・・

清滝街道を通って大和の米は河内へ運ばれた産業街道だとか
今も車が混んでいたので今昔の産業道路という事 大いに納得

◆さらら川
それよりなにより、資料を見て驚いた♪

立っている所から西の方に行けば四条畷市 そこには
「さらら」 という地名 と 「さらら川」 があるではありませんか!

確かに持統天皇(さらら)は幼少の頃 この生駒丘陵で
馬に乗って遊んでいた。というのを読んだことがあった けど

「さらら」の名前の由来が大阪の四条畷市にあるなんて知らなかった。

この辺り・生駒から四条畷一帯は母方の祖父の蘇我石川麻呂の領地
持統天皇(さらら)は幼少の頃 この祖父の領地で育ったとか~

さららの名前由来の地を確認できただけでも、私には大収穫でした♪




大分前から行きたいと思っていた福井県名田庄村にある
暦会館へ行ってきました。偶然、中秋の名月の日に♪

◆暦から歴史を垣間見る~

 暦の歴史も面白いですね~(^_^)/

暦会館の人からいっぱい興味深い説明を聴きました。

私達が旧暦と呼んでいるのは 

本当は太陰暦でなく「 太陽太陰暦」だそうです。

太陰暦 (イスラム暦)
太陽太陰暦(中国日本)
太陽暦 (西洋暦 )

◆ 新暦に変わる時 ~

もし今現在、私たち 年末に向かおうとしている12月にいきなり12月 〇日から
新しい暦になります。12月 〇日は新年、 お正月、と言われたら・・
面喰いますね

会館の人の説明では
「政府は明治5年8月頃 にはすでに 改暦を決意していた」 そうですが、
それまで反対が多かったので 黙っていた。

印刷やさんは、そうとは知らずに翌年の暦をすでに印刷したが、
12月に新暦採用となって印刷した暦は使えなくなった。

幻の暦となった← 展示してあった。

参考に

明治5年11月9日 (旧暦)に新暦への移行が布告され、
旧暦明治5年12月2日の翌日が新暦の明治6年1月1日です。

ただ太陰太陽暦は明治5年以前にも何度も暦法が改訂されています。
明治5年に廃止されたのは 天保暦です。((1844年2月18日)から使用)
                    ↓
日本で最後の太陰太陽歴は 「天保壬寅元暦」

で、最近は旧暦カレンダーが俳句愛用者の人とか
けっこう増えているそうです。

説明してくれた人の個人所有の2009年の旧暦タレンダーを

見せてくださいました。


2009年の旧暦のカレンダーは、
10月に続いて、 閏(うるう)10月がありました。

この年は、10月と閏(うるう)10月 と、2回10月があり
年間計13か月となっていました。

10月が2回あったら・・年13か月あったら 面喰ってしまいそうです。
 
私は理科系苦手な人間なのでよく分からないのですが、
日数の加減でこうなるそうです・・・・・・。

旧暦のカレンダー面白そうなので 来年分買ってみようかな~?

 とぞおもふ

もし行かれる方がおられたら ご参考に
暦会館の女性の方 とても親切でいっぱい説明してくれます

伊勢さん 奈良検定お勧め 有難うございます。
いづれか御時に~(^_^)/


先日、三輪山セミナーを受講してきました。

古代の歴史や神話は馴染みがなくて さっぱりついていけません
けど所々面白いです。

神話ひとつでも 古代歴史学から見たり 
今回はちょっと違う観点 心理学から見た神話という内容でした。

テーマ;箸墓伝説を読み直す

 神話には、鶴の女房など「絶対見ないでください」という話が多い

 見るなっと禁じられても 大概は約束を破ってしまう

 本性を見られた方が去っていく・・・(禁を破っていないのに)
 恥を感じた方が立ち去る→日本だけの文化

 禁を破った方はどうなのか?・・
 立ち去った鶴はその後どうなったか?

◆箸墓伝説(日本書紀から)
 神と結婚した姫は夜だけやってくる夫の姿を見たことがなかった

 妻;今日は帰らずに麗しい姿を見せてくださいとお願いをする
 夫;貴女の言うことはもっとも 明朝 櫛笥(くしげ)にはいっていよう~
   けれど、私の姿を見ても絶対 驚かないでください~
 妻;櫛笥を開けて 夫の本性を見て驚く・・・驚かない約束だったのだが

 この神話は現代に置き換えて読む事ができる
 恋愛中かっこいいと思って結婚した夫 結婚した途端に
 家庭での夫の姿を見てがっかりする~ ありうる話

 
講師は 北山修(帰ってきたヨッパライの )と共同で
神話の本を出版し皇學館の先生でした。

フォークルの北山修氏って精神科医でしたか?
心理学の観点から神話を切り出したり 

NHK日めくり万葉集の番組の選者になって万葉歌を解説されたり
歌以外にもご活躍ですね。

 
以下 講座で頂いた資料です。
あまり理解できなかったので 今一つ咀嚼で来ていないので
資料転載の方が伝えられると思いました~(^_^)/
◆神話を通して自分を見つめる
 神話は人間の心理の象徴的物語

◆神話と深層心理学の出会い
 19世紀と20世紀の神話学
 20世紀の深層心理学は神話をどう読んだのか

◆箸墓伝説に見る日本人の深層心理

◆「恥」の文化における罪悪感の行方
 恥をめぐる日本文化論

◆日本人の<原罪>が提示した視点

◆「見るなの禁止」をめぐる東西の神話
 「罪と恥」イザナギ神話を例として~

 ギリシア神話と日本神話(ほぼ同じ内容の話)
 上記 二つの神話の構造分析 と 相違点


◆これから生きる人々のために~
 「罪を水に流す文化の構造を読み直す
 「禊は済んだ」「過去の過ちは水に流す」を見直す


で、2~3日に引退した島田伸介と管総理大臣の辞めていかれた人の
去りぎわの話になりました (^_^)/