元興寺の鬼を書いていて思い出した。


大分前、田原本で乗ったタクシーの運転手さんから

ここ田原本が桃太郎伝説の発祥の地と教えてもらった。


えーー桃太郎は岡山ではないの?っと

信じられなかったがパンフレットを読んで 納得した

        





           桃太郎伝説発祥の地の説明板


テレビを観ていたら、この地を訪れた人の言葉に

衝撃を受けました。

  

   「鬼は大和じゃ!」


えっ 鬼は大和?! 大和が鬼?! ??


いわく、


桃太郎は鬼退治に行ったというが、来られた吉備の国の人は


「鬼退治は頼んで来てもらった訳ではない 

 勝手にやって来たのではないか!

 鬼を退治した とか征伐をしたというが・・・鬼は大和じゃ!」 


そっか・・・そういう事なんや~


(かなり端折ります) 


黒田廬戸の宮におられた孝霊天皇は息子の吉備津彦

吉備地方の平定を命じた


           孝霊天皇の黒田廬戸の宮
               ↓
  



  

お供に、養部 養部 養部 を

連れて 難波の港より船出した。


鬼のモデルといわれるのは、温羅一族 


温羅一族 とは

異国から渡来した海賊で早くから砂鉄や鉄鉱石を発見し

製鉄技術を導入して鬼ケ島に鉄文化を築いた と言われている


鉄など鉱山地帯には鬼伝説が多く伝えられている

溶鉱炉の前で働く人々の姿は 髪は砂鉄に染まり茶髪

皮膚は溶鉄に映えて赤く、危険を伴う労働の荒々しさや

真剣な眼差しなどで その姿は異様で鬼に見えたかもしれない


鬼さん って・・そんなに悪くはないような・・・気がしてきた。


パンフより

吉備の国は、弥生時代末期(3世紀)から古墳時代の5~6世紀にかけ

大和や九州と並ぶ強力な勢力があった。

大和は国家統一の為に吉備の国を平定する必要があった。


そっか・・・

それが 桃太郎伝説 鬼退治の話になったのかぁ・・・・・・

   





我家の田植え 3分の2 植え終わり


あと写真の分だけ の 筈だったのですが

苗が足りずに 20箱追加手配しました。
























植え終わった苗箱を洗う


井戸水で洗っていたら


ジャブジャブ使いすぎたのか


井戸水が枯渇して出なくなった.


水が溜まるまでしばし中断です、












                                  


見あげればのうせんかづらが咲いています。


本当は高野マキか朝鮮マキなんですが


のうせんかづらが絡まり占領してしまい


本来のマキの姿は見えません、

















下には 半夏生(半化粧) が 

ぼちぼち咲き始めました。



草の半分がお化粧したみたいに

白くなるので はんげしょう というそうですが、


お洒落なネーミング ですね。





鬼 桃太郎 を書くつもりでしたが


それてしまいました (*_*)

元興寺の国宝 五重の小塔が公開の時行きました。


受付に朱印帳を預け中へ 団体さんに説明していたので

紛れこんで一緒に聴きました ♪


帰りに朱印帳を受けとりに受付へ、そこで、


  「境内に5体の鬼がいてる」                   


っと教えてもらったので、探しに再び境内へ~             



元興寺の鬼は「がごぜ」と呼ばれているそうで


日本霊異記によると

雷の子が空から落ちて 農夫が命を助けた。

雷は御礼に怪力の男の子を授けるっと約束をし、

男の子を授かった。


男の子は元興寺の童子となった。


その頃、元興寺の鐘楼に鬼が現れて人を襲っていた。

童子は鬼を捕まえようと毛髪をつかんだが鬼は逃げた。

追いかけて行ったが見失った。            


この鬼を見失ったところの地名が             

                                      

不審が辻(ふしんがつじ) 


元興寺の北東鬼門の方角で 鬼の出入り口     

あたるところだそうです。


   へぇ~



近くには鬼薗(隠)山もある 

                                   

   へぇ~  


それで元興寺の絵馬は鬼なのね   

5体の鬼を探しに境内へ引き返したが      

結局、見つからなかった・・・

またいずれかのおん時に ~ (^_^)/

                         

  

  








かぎろい歴史探訪ウォーキングは この日が今期の最後

9月までしばしお休み(極暑を避ける為)


最初の訪問先の黒塚古墳で どなたかが「虹や!」

みんな一斉に見上げ~「お~ぉ ♪」 歓喜 ♪


普段は写真を撮らない私までも 思わずポチ 

しかし歓喜をあげた輝きは映せなかった~(*_*)


 実際は虹でなく 「彩雲」 というそうです。 ↓  



この現象(気象)を具体的に解明できる現代でさえ

これは吉兆♪~ 何かきっと良い事がある♪~と心弾んだ♪


 昔の人だったら この瑞雲を見てどのように占ったのかな?


崇神天皇陵 長岳寺 山の辺の環濠集落 西殿塚古墳など

あちこち回り、最後が戦艦大和で有名な大和神社へ


    村の掲示板に貼ってあった「今年の豊作占い」の結果


                  ↓





   昨年の豊作占い(去年撮って携帯に残っていた)

                        ↓



  見どころ満載の一日でした。

  お世話してくださった皆様に


  感謝♪ 感謝♪

気が付けばブログ更新しなくなって1年。


その間に 奈良ソムリエ検定に合格。

(H25年2級、H26年1級、H27年ソムリエ級)


これを切っ掛けに、またぼちぼち書いていこうかな

っと思っています。


写真も UPしたことがなかったのですが 

練習に 以前携帯で撮った写真をUPしてみます。


20人ほどで、正式参拝した後 岡本権宮司さんから

おん祭のお話をお聴きした後 直会として食事です。

  

春日大社に古くから伝わる愛敬祝儀膳(ういきょうしゅうぎぜん)  

      

              (新聞からの写真) ↓ 



巫女(みかんこ)さんが持ってきてくれました。

春日大社では巫女さんの事を「みかんこ」とお呼びするそうです。


みかんこさん 藤の花のかんざしが素敵でした。




       そして、私が頂いた愛敬祝儀膳です。
       高く盛り上げたご飯が印象的でした。

                    ↓                









本を読んでいると色々な事柄に遭遇します
その都度 「 へぇ~ そーなんや! 」 とぞ思います 
知識不足なので 「へ~~」 が多いです (*^_^*)

松本清張と樋口清之の本「奈良の旅」を読んでいたら 
でました へぇ~ そーなんや~」 が

転害門の前にできた木賃宿が 初めてなんですね~~  

律令制の昔から街道には、「臥屋(ふせや)」という宿泊施設があって
旅行者が雨露をしのいでいたが、後に 社寺の宿坊や村宿(民宿)が
旅館の代わりをつとめていた。


【木賃宿】
鎌倉時代になると、転害門の前に職業としての宿屋が初めて登場した。


当時の宿屋は部屋を提供するだけで、ひと部屋に旅行者全員雑魚寝、
食事は旅行者が食料を持ってきて、この宿の薪で炊いてもらい 
そのお礼に 「木賃」を払った。  燃料代の事ね

    それで~ 木賃宿~ 


【旅籠】

江戸時代になると 食事を提供する「旅籠」が主流になった


旅行者は お米を持参しなくても、銭だけを持って旅行すれば
夕、希望によりお弁当も用意してくれるようになった。


「旅籠」 って 本来は 馬のエサの入れ物の事
「旅籠屋」というのは、馬の椎葉を用意してある宿の事

旅籠屋は高いので 巡礼 旅芸人 旅僧 雲助 渡り者 など 
貧しい庶民は 「木賃宿」に泊まるようになった。

で、木賃宿とは 一般に 下級旅館 をさす言葉になった。


「旅籠 って 本来は 馬の椎葉入れ物だった」 

という事に、驚きました (☆o☆)

 知らなかったです 







連休ど真ん中(3日土曜日)あべのハルカスへ行きました

目的は

1、講座「生駒山に挑むー近鉄奈良線の100年ー」受講
2、東大寺展を観る
3、展望台へ登る

着いて先に展望台チケット購入する為の整理券を
求めて並びました

ひや~~ ものすごい人人人
先日行った梅田グランフロン大阪どころではない・・・
列に並ぶ為の人人の流れ エネルギーに圧倒されっぱなし・・


で、早い目に近鉄文化サロンの教室へ行って
まだだれも来ていない教室で本を読んでいました。


近鉄奈良線と宝塚歌劇
どちらも創業100年 同い年なんですね


講座終わり 東大展へ 出ると
展望台の当日券は完売 登らず帰ってきました。


変わって
いつも皆様に情報頂いていますので お返しに
大変興味深い講座のお知らせです(*^_^*)


前回は「明治維新と南都の寺院」がテーマでしたが
添付資料も実際の記録に基づいているので大変面白かった
今回も期待できそうです。


申し込み不要 費用無料
奈良駅から2~3分の所なので
当日ご都合があえば~如何ですか?

〈大和学への招待〉

第4回 まぼろしの平城神宮

■内 容
明治から大正にかけて、平城宮跡に神社を造ろうという計画がありました。
建設計画はなぜ立てられ、なぜ失敗したのか。
創建に奔走した人々の動きをもとに、その全貌をさぐります。


■日 時
5月10日(土) 午後1時30分~3時(受付:午後1時より)

■場 所
奈良県中小企業会館(4F大会議室)
奈良県奈良市登大路町38-1
※駐車場はありませんので、車でのご来場はご遠慮ください。

■講 師
黒岩康博氏 天理大学歴史文化学科講師

■その他
・申込不要
・受講料無料


■問い合わせ先
天理大学 広報課「公開講座」係
〒632-8510 奈良県天理市杣之内町1050
TEL:0743-63-9006 ※土日祝除く9時~17時


※この件に関して詳しくはこちらへ


◾【講座5月17日】
第5回 東吉野村の「魚見石」


奈良の登大路の事 
皆様はよく御存じと思う事を嬉しそうに
つらつら書きますが、お目汚しお許しくださいネ

ひっさしぶりの奈良でした♪ ワクワク♪ *\(^o^)/* 
奈良県民でも、近鉄奈良駅着くと気分は旅人になります♪

さて、どこへ行こうっかな?」 一人歩きなので自由自在です
真っ先にひらめいたのが「ずっしり重たい大仏あんぱん」 
ゲット後 次は どこへ? 

ふと「中村直三農功之碑」が登大路にあるっと思いだし行きました。
ありました♪ 県庁東交差点に建っていました。

そこ(奈良街道or京街道)には雲井坂」「轟橋」「西大門跡」
「一里塚」の石碑。大和名所図会の南都八景出てくる所でした。
 
【南都八景】
(1)東大寺 の鐘 
(2)春日野の鹿 
(3)南円堂の藤 
(4)猿沢池 の月
(5)佐保川の蛍 
(6)雲井坂の雨 
(7)轟橋の旅人(行人)
(8)若草山 の雪


同じ道沿いにある転害門の観光案内所に入りました。
南都八景の資料はなかったけれど、色々教えて頂きました♪


◆雲井坂の雨
昔は1m位の勾配のきつい登り坂に霧雨が降る様が絵になった
荷車を押して上げないと登れなかったのでこの付近は「押上げ町」という
道路を造る時に今のようになだらかな道になった。


◆轟橋の行人(旅人)
最後の難関 険しい坂を上った所にあって旅人
はやれやれの思いだったのでは~


◆西大門址
昔はこの門が東大寺の正門で賑わっていたようです。

なにより嬉しかったのは ここから西への道が平城京時代の二条大路 
と解った事です♪ 以前 朱雀門の前が二条大路と知って
探しに行きましたが見つからなかったので 今は昔の道はないけれど
二条大路は 朱雀門~西大門 と解って嬉しかったです。


◆転害門から西への道が一条大路 うんうん 
二条大路と一条大路 位置関係に 納得できました♪


◆教えてもらった蛭子神社へ向かう途中 五却院に寄りました。
お堂は閉まっていましたが朗々とした読経の声が素敵でした。
境内の重源の碑にご挨拶して 地図を片手に進むと


◆三笠霊園 ここには確か 大伴氏の氏寺 伴寺跡 
重源之墓や嶋左近の墓があったなぁ~(以前ウォーキングで来ました)
そして確かこの辺は佐保川の源流~だったなぁ~と思いだしながら進むと 


◆蛭子(えびす)神社に到着
かつては、神社前の佐保川に「禊場」があり、修二会に参加する練行衆が
禊をしたと伝えられます


でも寂しい所だったので一人では心細くて直ぐに引き揚げました。


途中 高速餅つき屋さんで あん餅を10個 買い帰路へ
あんこで始まり あんこで終わった 奈良旅でした。



先日 宇陀ウォーキングで 色々・・。


宇陀にも天香久山があるんですね。全然 知りませんでした。

寺名 山号が「天香久山 天益寺(てんやくじ)」

もう一度朱印帳を持参してゆっくりと訪れたい所です。

そこから少し歩いて、大亀和尚の民芸館へ、そこで

「宇陀はいたる所で朱砂(水銀)が採れたっと聴きました。

 おぉ~~水銀!と 反応!。

里中満智子氏の「天上の虹」 第17巻を読んで

持統天皇の夢の中に出てくる亡き夫 天武天皇は、
若い頃の姿のまま、 私の方は老けてしまった となげく

女官が「これは霊薬 若返ります」と勧め 飲みます

※霊薬の材料になるのは貴重な辰砂(水銀を含む鉱物)

えっ!水銀を飲む?!にわかに信じられなかった

当時 霊薬は世界最先端の医学が生んだ特効薬と信じられていた


また、図書館で見つけた本の見出しが

「古代大和を依って立つ基盤は宇陀の水銀だった」

即、借りて 読みました。

やっぱり・・同じような事が書いてありました。

「医術に優れた知識と実績を持った道教の薬師集団によって
調合された水銀を 中国の皇族は不老不死の薬として服用した」

へぇぇ~~~吃驚

魏国への献上品にも辰砂は使われた と
この辰砂と一緒に、生口十人(男4人、女6人)も献上された・とか

「生口」って 人間の事らしいのですが
人間を献上品って・・・残酷ですねぇ~。

また

東大寺大仏の金の付着作業にも水銀が使われて
多数の犠牲者もあった とか
以降 仏像づくりは水銀を使わない方法に変わっていったとか

今は 宇陀の鉱脈は枯渇し 「宇陀の水銀」は幕が降りたそうですが、

かぎろいの丘 など万葉集での宇陀はよく語られますが
宇陀 まだまだ知らない歴史がいっぱい潜んでいますね

昔の人 や 歴史に思いを馳せながら・・・実際は (*^_^*)

宇陀の銘菓「きみごろも」 や、道端で「梅干し」 「奈良漬け」「もろみ」
酒造会社で試飲会 お酒 等々買い物ウォーキングをしました。

梅便り 桜便り 興味ある本やイベント情報 
さらに ケーキのお店やさんと貴重な情報を
皆様から沢山頂いています 謝々

たまにはお返しに~こんな情報など 
如何でしょうか~(*^_^*)

「近鉄奈良線開業100周年」のパンフレットより

4月20日 9:30~11:00 
近鉄奈良駅 東改札口 コンコースで
駅長おすすめのフリーハイキングの地図配布してくれます。

テーマは、「知る人ぞ知る 奈良の裏道、横道、散歩道」

というのですが 

どっちの方向なのか?どんな道なのか?
皆目見当が付きませんが、面白そうですね~


で、私は さむさが緩みだしたころから3週間
 計6回
奈良歴史ウォーキングに参加してきました。



1、田原本・唐古・鍵遺跡コース (土砂降りの雨だった)


2、桜井市忍阪街道 栗原寺跡コース


3、同じく桜井市忍阪 倉橋のため池コース


4、午前:飛鳥コースウォーキング 
  昼から飛鳥資料館で講座受講:「塔は何故高いのか」


5、宇陀市 天益寺コース 大亀和尚ノ民芸館ナド


6、山の辺の道コース 
  芭蕉の藤棚 や中村直三の碑(農業功労者)ナド




 奈良の歴史・季節を 満喫 していました♪


  合間に 


講座 崇仏廃仏論争 受講


 また合間に


中学時代の友人5人とプチ同窓会です♪


結婚後 みんな大阪市を離れ 現在の所在は
兵庫県 京都 三重県 奈良県 大阪府 とバラバラ


で、集合はJR大阪駅中央改札口を出た辺り・・・ 

  いや~ 人人 人 ごった返している 




大阪生まれ 大阪育ち 勤めも大阪(両親も大阪生まれ育ち )


通勤で歩いていた心斎橋や御堂筋のショーウインドーのディスプレで 季節の移ろいを感じていました。


大阪 結構 好きな町 ・・・だった・・
今でも 大阪嫌いではないけれど


いつのまにか 奈良が大好きになってしまっていた (*^_^*)


 奈良は~淑きとこ ~奈良は良いなぁ~!♪