母の介護体験に囚われていた | 淡々と生きる卵巣がん患者(でいたい)

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2022年1月卵巣がんステージ4と診断されました。

年1~2回のキャンプ登山を楽しみに生きてきた、50代です。

申しわけありませんが、今ほとんどWifiがない場所にいることと、元気がないのとで、しばらくコメントの返信はできないと思います。


山籠りで自然に癒されたのも束の間、また入院しています。トイレから立ち上がれないほど衰弱してしまって。



病室の絵



色々補助器具があればまだまだ大丈夫なのだけど、夫の私の介護の負担を考えると、少し休んで欲しくて、数日入院して私の嘔吐症状の改善に集中することに決めました。


緩和医療になり、病院で思ってもみなかったお風呂に何ヶ月ぶりかに入り、幸せいっぱいです照れ飛び出すハート



嘔吐は入院5日目の昨日も全く改善の兆しはないんですけどねオエー

いろいろな薬を試行錯誤の上、お手上げな新しい主治医には「何か心当たりはありませんか?」って聞かれましたよ🤣

一昨日から、新しい胃酸コントロールの薬を飲んでいます。




急に話しは変わりますが、私がオットに休息をとって欲しかったのは、私が大腸癌から脳、肺に転移した母の介護の経験からでした。


それは父が他界した後、当時小学校2年生だった双子の息子を育てながらの介護でした。

私は夫と別居中だったので、母が在宅で寝たきりになるまでは、子供が病気で学校を休む時や帰宅時のお留守番など、頼り切っていた。

その母が介護される側になると、私は忙しさで追い詰められていきました煽りアセアセ


朝は母に朝食を与えてから出勤車ダッシュ

ホームヘルパーさんが、昼間に用意した昼食を与えてくれて、その他のお世話をしてくれました。


私は仕事帰り塾を終えた子供を連れて帰ると、まず母の世話。

オムツを変えてもらう、こんな母の姿を子供達には見せたくなくて、ピシャッと襖を閉めて子供達はシャットアウト。ほったらかしでした。


土日はヘルパーさんがお休みなので、その時はまだ存命だった兄に毎週泊まってもらいました。


でも私の兄は母親のオムツを変えるなんていうことが出来なくて、母が溺愛していた兄に、私もやって欲しくなくて。


私の息抜きは、週末、兄という留守番がいる間、母が起きる前の、早朝の朝マックだけでした。


子供は喘息持ちだったので、母の闘病と合わせて1ヶ月に27回病院に駆け込んだこともあったけど、介護の方が何倍も大変だった。

ネガティブ

精神が崩れそうだった。

だから、オットには、私のためにそんな思いをして欲しくなかったっのです。




でも昨日、それは私の独りよがりな考えだったと気づきました凝視


オットが、「時間がない」と、頭を抱えたのです。

2つの宿泊施設を数日おきに移動して働くという仕事を得たオットは、私が入院してからは車で25分ほどの遠い方の宿泊施設にいるのに、何も愚痴らずに毎日お見舞いに来ていた。


勤務後の仕事の誘いも嫌と言えない律儀なオットには実はそれが負担だった。


両方うまく断ったりすれば良いのに、そういうことが苦手なオットにはストレスだった。

それに私は気付けなかったのです。


今オットが働いているのは、私はオットが職を得てからはまだ行ったことがなくて、もう一つの宿泊施設より忙しいことも知らなかったけど、遠さは知っていたのに。



ただただ逆に負担を増やしてしまっていた。



私のただの独りよがり。



バカみたい。




もう、自己嫌悪で、泣きに泣いてしまいました。


えーん





今日も。

ラムレーズンとアップルクランブル。

アップルクランブルがカリカリのものかと思ったら、凍ったジャムみたいで美味しかった。