

ブログネタ:
好きなジブリキャラ 参加中
あっるっこ~あっるっこ~
私わ元気~

えっとぉ
ジブリといえばやっぱり
おれのなかでは
「となりのトロロ」
なんでやっぱり
トトロとトトロの弟子?みたいなやつっぽい
やつが好きです
でもトトロには都市伝説があるんです・・・
たとえば
さつきとメイは死んでいる
後半になるとさつきとメイの影が消える
→これはジブリの広報部も認めている。
→死んで幽霊になったから影が消えた。
見えなくなったさつきとメイ
お母さん「今、あの木のところで、さつきとメイが笑ったような気がした。」
→そもそも近くにいるなら面会しないのは不自然。
池に落ちたサンダル
本当にメイの物だった。
→メイはさつきに発見された時サンダルを片方履いていない。
→そもそもあんな演出は不要
→田舎に偶然サンダルが浮いてるなんて出来過ぎだ。
→さつきが嘘をついた。
→さつきは自分に言い聞かせるように言った。
→その後出てくる地蔵菩薩は元々閻魔大王だったと言われている。
そもそもトトロって一体…
トトロは実は死神で死期が近い人間、もしくは死んだ人間にしか見ることができない。
→樹に登り猛々しい咆哮をあげるが村の人々は全く気づかない。
→子供だけに見えると言うがメイに見えて、次にさつきに見えたがカンタには見えなかった。
→トトロの元になったトロルとはノルウェーの伝承に伝わる邪悪な妖精。
猫バスはあの世に繋がっている乗り物。
→木が猫バスを避けてるのは木が猫バスをよけてる訳ではなく
猫バスの存在自体が霊的な者だから。
木があたる訳もないし、皆に見えるはずもない。
→さつきはトトロに死んだメイの元へ連れて行って欲しいと頼み連れて行かれてしまった。
お父さんとお母さん
全てお父さんの妄想だった。
そもそもお父さんは何を書いていたのか。
→田舎に来る前からさつきとメイは既にこの世に存在しなかった。
→さつきとメイがトトロと一緒に木の上でオカリナ吹いていたシーン、
あそこでお父さんがチラリと木を見やり、
少し満足げにして執筆を続けるのが確認できる。
→お父さんは死んだ娘達がこうなれば良かったと思ったことを小説にしていた。
お母さんの病気は一体…
肺結核だった。
→七国山病院の正体は現在でも八国山にある新山手病院。
→結核は当時不治の病。
→エンディングでお母さんとお風呂に入るのはおかしい。
→エンディングは過去の回想。
精神病だった。
→さつきとメイを亡くしたことによって入院していた。
→「今、あの木のところで、さつきとメイが笑ったような気がした。」
これは生きている人間に対して使う言葉ではない。
→とうもろこしはお父さんの演出だった。
お母さんを見舞ったお父さんがとうもろこしに「おかあさんへ」と書き
窓際に置いた。
もういっちょ
『となりのトトロ』はモデルになったと言われている事件がある。トトロの舞台となった所沢の隣町である狭山で昭和30年代に起きた"少女惨殺事件"である。
行方不明になった少女が数日後にバラバラ死体として発見されたという話だが、この際姉が妹を探し回っていたり、片親の家族だったりと共通点も多い。
何よりも、妹を探していた姉が放心状態で見つかり、警察の事情聴取にも「化け猫を見た」とか「大きな狸にあった」など、脈絡の無い答えが返ってくるばかりだったという。
この事件はどちらかというと、犯人逮捕に焦った警察が、別件の小さな盗みで同じ頃逮捕された男性を、暴力的な取調べで強引に自白させた冤罪事件として有名になった(ちなみに冤罪の申し立ては門前払いされ続け、その男性は現在も名誉回復に至っていない)が、結局のところ真犯人が捕まる事は無く、唯一残った証言は被害者の姉の残した「化け猫」や「大きな狸」というキーワードだけであった。
さてこの事件を念頭において『となりのトトロ』を見てみると、大分印象が変わるというか新しい解釈、新しい発見がある。
まず"トトロは子供にだけ見える"という印象だがサツキの同級生であるカンタには見えないなどの矛盾がある。そこで登場したのは"トトロは妖精のようなものであるから、死に近い人間が見える"という事だ。
死期の近づいた老人が、先に死んでしまった家族を見るなど良くある話である(大概はもうろくしたと片されるがね)
つまりサツキとメイは、あの段階で死期が近づいていたのである。
結論から言うとメイは母親に会うために1人で病院に向かう最中に死んでしまったのである。村の人たちの捜索で沼でサンダルが発見され、サツキは「メイのじゃない」と否定するが、実はあの段階でメイは既に水死していて、現実を認めたくないサツキがひきつった顔で「メイのじゃない」と言って走り去ってしまうという流れである。
そして森の精霊であるトトロにすがり「メイがいなくなっちゃったの! お願い、メイに会わせて! きっとあの子、1人で泣いてるわ!」と言って、サツキは妹に会うため"自らの命を捨てる選択をする"
そう猫バスとはこの世とあの世を結ぶ乗り物なのだ。物語中盤で登場した猫バスに、サツキが乗る事を恐れた理由も、ただ単に異様であるというだけでなく、「乗ってしまったらもう戻れない」と本能的に感じ取ったからであろう。
その辺は、「凄い、木が避けてる!」や「みんなには見えないんだ…」のセリフからも、猫バスが実体の無い虚無の存在であると伺える。
そして重要な証拠としてよく挙げられるのは、沼でサンダルが発見されたシーン以降、"作画からメイの影が無くなっている"のである。作画レベル世界一と言われるジブリがミスをするとも思えないし、何よりも「以降全て無い」というのは明らかに不自然である。
そして自分が死んだ事に気づかずにさ迷っていたメイの元に、冥界の乗り物である猫バスとともにサツキが迎えに来て、姉妹は再会する。
そうしてサツキとメイは母親の入院する病院を訪ね、メイが渡したかったトウモロコシを渡すのだが、このシーンでも不自然なポイントが2つ。
何故サツキとメイは、お母さんに直接会って渡さなかったのだろうか?
そして何故、病室の窓の外目の前の木に座っていた2人を、両親は見えなかったのか?
………ふと風が通り過ぎ、両親が窓の外を見ると、「おかあさんへ」と書かれた紙と共にトウモロコシが置いてあり、母親がふと窓の外の木を見つめ(絵では目の前に座っている)、「今…サツキとメイが笑ったきがしたわ」
と本当はこわいんですよ