沖縄バス研修から早2週間が経とうとしていますが、その際にも首里城を
あらためて下見した際にあらためて疑問に思ったのが、祭祀の場としての首里城が
どのような姿であったかでした。

 今回初めて足を踏み入れたのが、祭祀空間である「京の内」です。正殿や南殿
・書院、北殿が面する御庭(ウナー)の手前の下之御庭(シチュヌウナー)の南、
東西に延びる石積みで区画されているのが「京の内」です。

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首里城の京の内から正殿を見る

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京の内説明板

 説明版にもあるように沖縄戦で破壊された首里城の復元に当たっては主に明治
時代の測量図を根拠にしているために聞得大君が重要な祭祀を行ったとされてい
ますが、詳しい内容は分かっていません。
 実際に見てみた「京の内」は物見台のある石垣に囲まれたお庭という印象でした。

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首里森御嶽

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首里森御嶽の門


 「京の内」の最高所にある首里森御嶽は、首里城内のウタキの中でも最も
神聖なウタキと言われています。

 私の乏しい知識では、琉球国の祭祀のかけらも分かっていませんでしたが、
カルチャーセンターの歴史講座を受けることで理解の手掛かりを得ました。

 実は、今日まで不覚にも首里城の正殿が西向きであることに全く気付いて
いなかったのです。すっかり南向きだと思い込んでいました。では、何故西
向きなのか?そこに大きな首里城の謎があったのです。

 その内容は、首里城の謎!?その2へ続きます。

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