(2)沖縄戦と基地問題と音楽と

 当時、免許を持っていなかったへぐ☆巛は、那覇空港からホテルまではJALの直行バスで来ていたが、その後、沖縄本島を移動するのに、観光タクシーを使う余裕はなかったので、路線バスを使って、本当中部の北谷町サンセットビーチへと移動するつもりだった。読谷村のバス発着場まで歩いて10分程度ということで、案内地図をもらって、気楽に歩き出した。

 さとうきび畑が続く中に、ぽつんとテーマパークらしきものが、現在は体験王国むら咲むらになっているNHK大河ドラマのセット跡地だった。当時は単にセットが見学できるだけのさびれた施設だったので、あまり興味も持てずに素通りした。

 そのまま歩いていくと、舗装された道路から一段低くなった窪みが目に付いた、それが沖縄戦で、集団自決のあったチビチリガマ(壕)だった。自然にできた壕に降りて行くと、集団自決の説明と、そこに1987年4月に犠牲者に対する鎮魂碑「平和の像」が作られたが、11月に破壊され、その後、再建されたことが記されていた。

沖縄・チビチリガマの“集団自決” (岩波ブックレット)/下嶋 哲朗



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 平和の像が壊されたという新聞報道を覚えていたへぐ☆巛は、沖縄アイドルの追っかけという気楽な気分から、太平洋戦争で、沖縄を見捨てた本土の人間であるということにあらためて、気付かされ、遺族会によって立ち入りを禁止されたガマの入り口で合掌だけして、その場を立ち去った。

 実は、米国ボストン大学留学中の同じ国際関係論専攻には、沖縄出身のTくんがいて、1995年留学中、沖縄で巻き起こっていた反沖縄基地の動きに敏感になっていた。当時の大田知事は、先鋭な反基地の姿勢を打ち出していたが、Tくん自身は、現実的には基地を急激に縮小、移転することは無理だという立場だったと思う。そんな彼が、留学を終えて、帰国したと聞いて、那覇市で再会した。レンタカーを使えないへぐ☆巛を沖縄本島のあちこちに案内してくれた。

 その中には、象の檻と呼ばれた、米軍の通信施設、読谷村の楚辺通信所(そべつうしんじょ)や、嘉手納基地の一望できるポイントもあった。

 当時、国際機関に勤めるとか具体的な計画もなく、国際関係論を学んでいたへぐ☆巛はお気楽に、日本の外交姿勢を改めれば、沖縄の基地もなくなるのではと希望していたが、実際に沖縄の当事者として、日米の政府と向き合う仕事もしないといけないTくんにすればそんな簡単な話じゃなかっただろう。

 それでも、当時、沖縄県でも検討されていた米軍基地跡地で、貿易特区やIT特区を作って、沖縄経済を振興することが現実化することをへぐ☆巛も望んでいた。加えて、沖縄アイドルブームに続いて、キロロや沖縄発のポップスが全国でも受け入れられつつあったので、エンターテイメントを世界に発信することで、経済効果もあがればいいなと、大阪での「琉球フェスティバル」に参加したり、沖縄サミットを横目で見ながら思っていた。


へぐ☆巛が参加したのは1998年頃だと思うんで、もっと後の映像

 まあ、いつまでも独身の気楽な時代だからそう思ったのかもしれない。でも、家族ができてからも、家族を巻き込んで沖縄への思いは続くことになる。 (続く)

へぐ☆巛の沖縄体験(その1)
へぐ☆巛の沖縄体験(その3)



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