福岡は昨日は37℃を超え、今日の予想最高気温は38℃とか…
もはや体温よりも高いです。
東京は涼しいみたいで、羨ましい限りです。
さて、
「悲劇の」というタイトルがつくと、ついつい同情してしまうのは、日本人だけではなく、万国共通でしょうか?
クラシックの世界にもこの肩書きを背負う音楽家はたくさんいると思います。
戦禍に巻き込まれた音楽家、事故や病気で急死した音楽家、やはり事故や病気で命こそとりとめたものの、音楽家としての活動を続けられなくなった音楽家、自堕落な生活で身を持ち崩した音楽家、とんでもない派手なスターが同世代にいて、才能がありながらもその影に隠れてしまった音楽家。
まぁ色々なバージョンがあるかと思いますが、この人ほどほんとうに悲劇の音楽家もそうはいないと思います

カールロベルト・クライテン。
彼の名前を知っている人は、余程のピアノマニアか、フルトヴェングラーのファンかのいずれかだと思います。
後者の理由は後ほど。
クライテンは1916年にボンに生まれ、デュッセルドルフで育ったドイツのピアニスト。
1933年に最年少の参加者としてウィーンの国際ピアノコンクールで第2位に入り、直後にベルリンでメンデルスゾーン賞を受賞。
その後1937年から1940年までは、ベルリンでアラウに師事しています。
その後もドイツ各地で活躍し、ドイツの若手の有望株の一人と目されていました。
しかしここで悲劇が。
母の友人の女性が「総統が言うからにはこの戦争には勝つ」と言ったのに対し、クライテンは「あんな奴が戦争に勝てる言っているのを信じている人間がまだいるとは驚いた」というような返答をし、その女性経由でゲシュタポの知るところとなり、1943年4月にハイデルベルクでのコンサートの前日に逮捕されます。
ここで冒頭のフルトヴェングラーに戻ります。
クライテンを知っていたフルトヴェングラーは、すぐにナチ当局にかけあい、当局からもせいぜい2~3週間、長くても2~3ヶ月で釈放されるだろうと返答したとのこと。
しかし、事態はそうは進まず、9月3日にクライテンの妹は、兄に数時間前に死刑判決が下されたことを知らされます。
直ちに両親や友人が嘆願に走るものの、聞き入れられず、7日に処刑されます。
この報せに慄然としたフルトヴェングラーは、クライテンの両親に次のようなお悔やみを送っています:
「カールロベルト・クライテンの運命を聞いて驚愕しております。夏にベルリンから離れたとき、私は、あなた方も無論同様でしょうが、この事件がすっかり我々にとって好転したものと信じていました。
それなのにこんな思いがけぬ結末になろうとは!
私はあなた方と悲しみを分かち、涙を共にするものであることを、隠さずに申し上げます。
クライテンを聴いた最後の何回かの演奏会のことを私はいまもよく覚えています。
一つの真実で、純粋で、偉大な希望が、今ここに埋葬されてしまったのです…」。
そして、かつての師のアラウは遥か後年にこう語っています:
「カールロベルト・クライテン、私が出会った最高のピアノの才能の持ち主の一人だった。
もし彼がナチ政権によって処刑されなかったならば、疑いようもなく彼は最も偉大なドイツのピアニストの一人という地位を占めていただろう。
彼はケンプやギーゼキングの後に続く才能を持っていただろう失われた世代の一人だった」。
フルトヴェングラーやアラウの絶賛が嘘でないことは、ここに収められた貴重な録音からも窺えます。
最初の録音は1933年のものですから、まだ彼が17歳の時!
いかに既に評価が高かったかが窺えます。
曲目はショパンやブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲」や、父親の作品、さらにはスイスの同時代の作曲家シェックのトッカータ、ラヴェルの「クープランの墓」からトッカータ(ノイズの方が大きいが)と、非常にバラエティに飛んでます。
コンサートではストラヴィンスキーやプロコフィエフなんかも弾いていたようです。
またこのCDには、生誕100年を迎えた彼へのオマージュとして、現代の作曲家による作品を、現代のピアニストが弾いた演奏も収録されています。
しかしこのあまりに悲劇的なピアニストが弾いた1934年のショパンのcis-mollのノクターンの録音は、あまりに悲しすぎます…