また雨が降りだした福岡。

ご親切な方は、わざわざお見舞いのメッセージをくださいました。
幸い、私のほうは被害もなく過ごしております。

ありがとうございます。



ここのところ、メンデルスゾーンの第3交響曲、いわゆる「スコットランド」交響曲をよく聴いています。

メンデルスゾーンの交響曲は、往年の独墺系の指揮者は正規に録音を残している人が少なく、私の好きな指揮者では、シューリヒトがライブで第4番を残しているくらい。

フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、アーベントロート、クレメンス・クラウス、ベーム、ロスバウト、ヨッフム、カイルベルト、シュミット=イッセルシュテットたちは商業録音を残していないですよね。

辛うじてカラヤンがDGに全曲録音を残していますが、この人はDGによるベルリン・フィルとの録音では、大抵ベルリン・フィルの演奏会の前後に合わせて録音し、その演奏会のエアチェックしたものと思われる海賊盤が大量に流布してます。

しかし、どういうわけかメンデルスゾーンの交響曲に関しては一切存在しないようです。
恐らくは実演の機会も少なかったのでしょう。

私が考えるに、やはり1933年から1945年の期間はナチスによりユダヤ系のメンデルスゾーンの演奏・録音は禁止されていたため、この時期にドイツに留まった上記の指揮者たちは、メンデルスゾーンの指揮が出来なかったため、自然とレパートリーから外れてしまったのかな?と思います。

やはり10年以上の空白は大きいと思います。
ましてやレパートリーを絞りこむ傾向が強い高齢の指揮者が、今さら再度レパートリーに取り込むというのは、かなり難儀な話だとも思います。


そんな中、逆にユダヤ系のクレンペラーなんかは、第3交響曲と第4交響曲について複数の録音を残しています。

彼のメンデルスゾーンの第3交響曲は、全てで3種類、厳密に言うと2.5種類(この奇妙なカウントは後述します)存在します。


まず最初のものは


ウィーン交響楽団との1951年の録音。

1945年に戦争が終わり、アメリカからヨーロッパに戻ったクレンペラーは、メンデルスゾーンの曾孫にあたるジョージ・メンデルスゾーンが創設したVox社と契約し、1946年から録音を開始します。

手始めに、パリのオーケストラを使ってバッハのブランデンブルク協奏曲が録音されてます。

その後1950年代に入ると、ウィーン交響楽団を使って、ブルックナーの第4交響曲、マーラーの「大地の歌」「復活」、ベートーヴェンの「運命」「田園」「ミサ・ソレムニス」、ノヴァーエスをソリストに迎えたショパンやシューマンのピアノ協奏曲を録音しています。

そんな中でこのメンデルスゾーンも録音されました。

しかしここでトラブル発生。

1951年6月にクレンペラーとウィーン響は、第2楽章まで録音を終えて、ギリシャへの楽旅に出ます。

ところが何を血迷ったのか、Vox社は第3楽章以降を別の指揮者(ヘルベルト・ヘフナー)を用いて完成させ、発売しようとします。
(2.5種類の録音とカウントしたうちの0.5はこの第2楽章までの録音を意味します)

これに激怒したクレンペラーは、Vox社と袂を別ちます。


さて、このメンデルスゾーンの録音の時期は、1951年としかクレジットされてませんが、ある程度特定出来ると思います。

クレンペラーはこの録音を別の指揮者に補完させたことでVox社を離れたので、この録音がVox社への最後の録音と考えられます。

従ってこのメンデルスゾーンの録音の前の録音と、クレンペラーとウィーン響が演奏旅行に出る1951年6月までの間に、このメンデルスゾーンの第3交響曲は録音されたことになります。

そこでメンデルスゾーンの録音の直前に録音されたのが何かと調べると、1951年4月から5月にかけて録音された「運命」だと判明しました。

よって、恐らくは1951年5月から6月にかけて、メンデルスゾーンの第3交響曲は録音をされたものと推定されます。

しかし、知らずに聴くと、特に第2楽章までと第3楽章以降がガラッと変わるという風でもなく、ある意味商品になるようにヘフナーに第3楽章以降を上手く指揮させたとも言えるかも知れません(笑)


なお、このVox社の社長であるメンデルスゾーン氏とクレンペラーがウィーンのレコード店を訪れた際のエピソードが夙に知られてますよね。

クレンペラーがVox社に録音したベートーヴェンの交響曲のレコードが発売された後に、社長のメンデルスゾーンと共にウィーンのレコード店に訪れる。

クレンペラーが「クレンペラー指揮のベートーヴェンのレコードはあるか?」と尋ねると、店員は「カラヤン(カラヤンではなく他の指揮者のバージョンもある)のならある」と返答され、クレンペラーが怒り、店員が「あなたは誰だ?」と尋ねると、「そのクレンペラーだ!」と返答。

すると店員は、クレンペラーの隣にいたVoxの社長に「するとおたくはベートーヴェンか?」と尋ねると、クレンペラーが「違う、コイツはメンデルスゾーンだ!」と返答。

お分かりでしょうか?
ちょっとしたクラシック・ジョークといったところですね。
もっともクレンペラー自身は至って真面目に返答しているわけですがw


お次は


フィルハーモニア管とのEMIへの1960年の録音。

こちらは問題なく全てクレンペラー指揮によるもの(笑)

他の指揮者と比較すれば遅めのテンポですが、まだクレンペラーにしては極端に遅くなる以前の録音なので、クレンペラーのあのスローテンポについていけない方でも、多分聴けると思います。



そして問題作の1969年のバイエルン放送響との録音。


ミュンヘンのヘルクレスザールでのライブで、昔からエアチェックを基にした海賊盤は流布していましたが、こちらのEMI盤はバイエルン放送協会の正規音源からのCD化。

さて、問題作というのは、クレンペラーファンならご存知かと思いますが、第4楽章のA-durに転調するコーダをバッサリとカット、代わりに第2主題を基にしたa-mollで終わるクレンペラー自作のコーダを付け加えたこと。

彼はこのミュンヘンでのコンサートの前に、ロンドンでのフィルハーモニア管とのコンサートで、やはりこの自身の編曲による演奏会を行い、プログラムにも一文を寄せてます:
 
「ハインリヒ・エドヴァルト・ヤーコプの本『フェリックス・メンデルスゾーンとその時代』の中に、私は次のような記述を見た。「メンデルスゾーンはコーダの男声合唱的な性格を気にかけており、(コンサート・マスターの)フェルディナント・ダヴィットに、ティンパニを抜いてホルンを増強し、ヴァイオリンを極力抑制してほしいと頼んでいる」。

つまり、メンデルスゾーンはこの交響曲のコーダに全く満足していなかったのだ。このコーダは余計でもある。彼はどう見てもスコットランド的ではないテーマに八分の六拍子を適用し、けたたましく終わらせている。ひょっとして手際のよいゲヴァントハウス楽長メンデルスゾーンも、ここでは偉大な作曲家になり損なったのではないか。

 今、このコーダを根本的に変更する権利を有すると信ずる。私が補った音は全てメンデルスゾーンによるものである。美しい第2主題をそのまま使い、満足のいくコーダとなった。たいへん多くの人がこの処置を非難するだろうが、それでもこれは正しいと信じている」。


自身が作曲家ゆえに、色々と思うところがあったことが窺える一文です。

ご存知の通り、クレンペラーは他にも例えばEMIへのブルックナーの第8交響曲の録音で、第4楽章に前代未聞の大カットを施し、折角第3楽章までは素晴らしいのに、この大手術のせいで名盤扱いされず、随分損しています。

年寄りのわがままか、はたまた歳を重ねた故の悟りの境地がそうさせたのでしょうか?

いずれにしても、このバイエルン放送響とのライブは、世紀の名(迷)演だと思います。

未聴の方には、冷やかし半分でもけっこうですので(^^)、お薦めです♪