大好きなシューマンの第2交響曲。

恐らく録音の数も演奏会で取り上げられる数も、彼の4つの交響曲の中では一番少ないと思います。

確かに渋いですが、一番シューマンらしさの出た交響曲だと思います。


そして改訂。


シューマンの交響曲は第2番に限らず、そのオーケストレーションに不満を持つ人から手を加えられてきて、最も有名なのがマーラー改訂のスコアでしょう。
彼はシューマンの、一つの旋律をいくつもの楽器で重ねるあの書法を嫌い、多くの楽器を取り去りスリム化させています。

後世の多くの指揮者も、このマーラー版に倣う形で、各々色々と手を加えています。

偉大なシューマン指揮者であったジョージ・セルは、1960年のシューマン生誕150周年に寄せた論考の中で、次のように書いています:

「どの程度オーケストラに手を加えるかというデリケートな問題は、各々の指揮者がその良心と趣味(taste)に従って解決されなければならない」。


つまりセルにとっては、手を加えるか否かが問題なのではなく、どの程度手を加えるかが問題だったということ。
手を加えることは大前提だったようです。

事実、残されたセルのこの交響曲の録音は、マーラー版を基にしたものと思われる改訂がなされています。

19世紀生まれの指揮者では、他にはシューリヒトがこれはマーラー版とは異なる恐らく彼自身の改訂によると思われる録音を残しています。


ただ、あの野暮ったいオーケストレーションも含めてシューマンという考えが一般化してきたこの21世紀になって、さすがにシューマンのスコアに手を加える指揮者はいないだろうと思っていたら、いました(笑)



ギーレン&南西ドイツ放送響(2010年)


惜しくも引退したこの老匠がシューマンのスコアに手を加えてました。

さすがにマーラー版ほど派手ではありませんが、例えば第1楽章を取り上げられるならば。15小節と16小節のそれぞれ1拍目の弦はarcoではなく、pizzで処理してます。

また353小節のティンパニは、トロンボーンとコントラバスのリズムに合わせて叩かせています。

(なお、カップリングの「ライン」は明記はされてませんが、ほぼマーラー版で間違いありません。証拠として、ジャケットには使用譜としてUniversal社と記されており、この会社は言うまでもなくマーラー版のシューマンのスコア、そしてマーラー自身の作品のスコアを出している出版社です)


しかし、このギーレンのささやかな変更に比べれば、シューマンの第2交響曲に対するマーラーの改訂は凄まじいです。

第1楽章冒頭の3種の金管によるC→Gの跳躍(この交響曲全体を貫くモットー)は、トラッペットだけに変更してます。

50小節目から始まるこの交響曲の主部の第1主題も、管楽器は全て削除され、弦楽器のみ。

また再現部の第1主題が奏される所では、シューマンのスコアではホルンの3連符の連発に、トランペットとティンパニの3連符の連発が1小節ずつ交替に鳴らしますが、マーラーはティンパニをカットしてしまいます。

大作曲家に対して畏れ多いですが、私はこれはマーラーの大失敗だと思います。

というのもこの交響曲が書き始められる3ヶ月前の1845年9月のメンデルスゾーン宛の書簡の中で、次のように書いているからです:

「この数日間、(ハ長調の竜巻のような)トランペットとティンパニの音が、頭のなかを鳴りつづけています」。

すなわち、この交響曲ではこの2つの楽器がキモだという訳です。

マーラーがこの書簡のことを知らなかったのかも知れませんが、個人的にはシューマンの意図を完全に無視してしまったと思います。


マーラーの改訂はさらに続き、コーダの開始部にあたる317小節(con fuocoの指示がある箇所)からは、デュナーミクに関する指示を大幅に変更してます。


第2楽章でも引き続き楽器のカットが行われ、やはりコーダの365小節から372小節までは全ての管楽器を削除。

そして第4楽章に至っては、楽器どころか相当数の小節までがカットされる始末(苦笑)

因みにマーラー自身がこの曲を振ったのは、死の前年の1910年のニューヨーク・フィルとの2回のみです。


このマーラー版のスコアによる演奏はチェッカート&ベルゲン交響楽団の演奏で聴けます。
(やはりマーラー版と銘打ったシャイー&ゲヴァントハウス管の録音は、マーラーのやりすぎを多少控えてます)。

このマーラー版のスコアでも、十分「凶悪」な改訂だと思ってましたが、上には上がいました。

それが


トスカニーニ&NBC響


トスカニーニは正規の商業録音ではこの交響曲を録音していないので、このライブ録音が唯一のものとなるかと思います。

解説によると、シューマンの作品の中で、トスカニーニのレパートリーに最初に入ったのがこの交響曲とのこと(1897年、トリノ)。

ドイツ語圏でも人気があったとは言えないこの交響曲が、このイタリア人指揮者の最初のレパートリーとは、ちょっと不思議。


それにしても、トスカニーニの改訂はマーラーの上をいく凶悪とも言えるもの。

基本はマーラー版なんですが、第1楽章の最後の370からは、2度に渡りトランペットにC→Gのモットーを吹かせてます(もちろんシューマンのスコアにそんなものはない)。

とどめは終楽章のこれまた最後の583小節からの585小節の金管。
ここはⅣ→Ⅰの和音で解決をするように作られてますが、ここでもトスカニーニはトランペットにC→Gのモットーを吹かせており、これにはさすがに度肝を抜かれたというか、もはや呆れてしまいました。

しかもあの悪名高い8Hスタジオでの録音で、トランペットの音色ときたら、イタリアオペラにはいいかも知れないけど、ドイツ音楽には向かないペラッペラッなもので、笑ってしまうくらい。


私は常々「楽譜に忠実なトスカニーニ」という世評に異を唱えてます。

例えば、ベートーヴェンの第九やエロイカをスコアを見てトスカニーニの録音を聴けば(もちろん現代のベーレンライターやブライトコップでは比較の対象にならないので、当時のブライトコップの旧全集の方のスコア)、到底「忠実」とは言えない凄まじい改竄がなされています。

「楽譜に忠実な」という評価は、当然トスカニーニやライバルと目されたフルトヴェングラーに対するある種の当て擦りでもありますが、少なくともフルトヴェングラーはトスカニーニほどはベートーヴェンのスコアには手を加えていません。

また、トスカニーニがニューヨーク・フィルで共に仕事をしたメンゲルベルクの手を加えまくったスコアを見て、「このドイツ人(厳密にはオランダ人だが父方はドイツ人)はほんとうに指揮者か?  恥を知れ!」とメンゲルベルクを罵ったとのことですが、私からすれば「このイタリア人はほんとうに指揮者か?  恥を知れ!」とメンゲルベルクにブーメランされても仕方ないも思います(笑)


また、彼はデュナーミクなんかにも、かなり無頓着です。

例えばこのCDにカップリングされているメンデルスゾーンの「スコットランド」の第4楽章のコーダの開始(A-durに転じる396小節)は、全ての楽器にmfの指示がなされてますが、トスカニーニはffで開始します。

当然この後は、メンデルスゾーンのスコアでは徐々にcresc.させて、最終的にffで終わるように作られているのですが、トスカニーニのやり方だとずっとffのままになってしまいます。

しかもとんでもなくテンポが速い。

なので


445小節から何回か現れる16分音符4つは、ほとんどトレモロに聞こえてしまい、メンデルスゾーンの意図が失われてしまっていると個人的には思います。

トスカニーニのこの作品の記録としては価値はありますが、演奏自体はかなり「?」です。


因みに、トスカニーニはシューマンの「ライン」も、ほぼマーラー版で指揮してます。


なお、私自身は指揮者がスコアに手を加えることに全面的に反対なわけではないことを断っておきます。

指揮者もどうにかしてその作品を世に知らしめたいという善意からやったことなのですから。