「in LA」と書けばカッコいい?(ダサい?)
もちろん、クレンペラーの場合、ユダヤ系であったたため、1933年にベルリンを去り、ロサンゼルスにやむを得ずやって来たわけで、カッコいいもダサいもあったもんではなかったでしょう。
それまでは、ワイマール期に空前絶後の活況を呈していたベルリンの音楽界の中心にいた彼が、当時のクラシックの世界では僻地、それも西海岸という超のつく僻地のロサンゼルスに来たわけですから、ナチスの迫害でいよいよ進退きわまっていたわけですね。
ここでロジンスキーの後任として指揮者を務めたのがロサンゼルス・フィル。
今日にでこそ、アメリカの中でも優秀なオケの一つですが、1919年創設のオケですから、クレンペラーが着任した時は、創設から10年ちょっとというひよっこのオケ。
言うまでもなくロスの人も生のオケを聴いたことがない人が大半なわけで、クレンペラーの味わったカルチャーショックたるや、想像するに余りあります。
そのロサンゼルス・フィル時代のクレンペラーの録音をまとめたものがこちら
・ヴェルディ 「シチリアの夕べの祈り」序曲
・ベートーヴェン 「運命」
・ワーグナー 「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲
・ブラームス(シェーンベルク編曲) ピアノ四重奏曲第1番
・シェーンベルク 弦楽四重奏と管弦楽のための協奏曲(ヘンデルの合奏協奏曲による)
・ストラング 間奏曲
・ガーシュウィン 前奏曲第2番
・1970年のインタビュー
音はまぁ劣悪てす。
CDの解説にもあるんですが、ラジオ放送をディスクにカッティングしたものが音源なのですが、言うまでもなく当時のディスクの録音時間の限界でせいぜい4分程度。
通常は2台のレコーダーで録音し、ディスク交換時のギャップが生じないようにしますが、このクレンペラーの録音は1台でなされたらしく、そこかしこに欠落があります(苦笑)
ベートーヴェンの「運命」は、クレンペラーの数多ある同曲の録音の最初のものです。
次の録音が1951年のウィーン響との録音ですから、ずば抜けて古い録音ということになります。
貧しいながらも聴こえてくる音楽からは、ベルリンでは新即物主義の旗手と言われただけあり、こざっぱりとしたもの。
また「シチリアの夕べの祈り」は、クレンペラーの生涯の中でも唯一のヴェルディの録音です。
ちなみにクレンペラーは死を間際に控えた時期に、録音したい演目としてヴェルディのレクイエムを挙げていたそうです。
晩年のスローテンポからして、もし実現していたなら、どんな地獄絵図の「レクイエム」になっていたでしょうか?(^^)
シェーンベルク編曲によるブラームスのピアノ四重奏曲第1番の管弦楽版は、シェーンベルクの作品の中でも比較的演奏される作品ですが、この録音(1938年5月7日)が世界初演のもの。
ベルリン時代には、シェーンベルクの作品を頻繁に取り上げていたクレンペラー。
(シェーンベルクはベルリンで教鞭を執っていた)
しかし両者が移り住んだロサンゼルスでは、クレンペラーはシェーンベルクの作品をあまり取り上げず、シェーンベルクはそれが不満で怒っていたとのこと。
クレンペラーは「ロサンゼルスの聴衆はあなたの作品を受け入れる用意がまだ出来ていない」と宥めたそうですが、まぁほんの十数年前までオーケストラする存在しなかった街ですから、あまりにも当然すぎる話です。
ガーシュウィンに関しては、財政難だったロサンゼルス・フィルのために、アメリカでは人気のあったガーシュウィンの作品を取り上げたとのこと。
ちなみにクレンペラーによると、ガーシュウィンは「とっても、とーっても横柄な奴だった。ただとっても才能があった」とのこと。
クレンペラーがそう言うくらいだから、よほど傲慢だったんでしょうねw
なお、このCDに含まれていないロサンゼルス・フィルとの録音は、他にもそこそこ残っています。
後年、ドイツ音楽の権化と崇められるEMI時代に録音することのなかった作品も振っていて、
・ベルリオーズ 「ベンヴェヌート・チェリーニ」
・コレッリ 「ラ・フォリア」
・ドビュッシー 「牧神の…」
・グノー 「ファウスト」の抜粋
・リスト 「死の舞踏」
・マスネ 「マノン」の 抜粋
・プッチーニ 「ボエーム」の抜粋
・トマ 「ミニョン」序曲
あのクレンペラーからは想像出来ませんよね。
興味のあるかたは、音質の劣悪さを覚悟の上で収集されて下さいませ☆