先日、九州・沖縄ローカルでしたがNHKで、戦争末期の九州帝大(今の九州大学)の医学部で行われた米軍捕虜へのいわゆる生体解剖を取り上げた番組が放送されてました。

遠藤周作の「海と毒薬」のモティーフとなった事件でよく知られてますね。

とはいえ、事件の当事者は、ことに戦後の国際軍事法廷で被告となった関係者は全て亡くなり、彼らのほとんどは口を噤んだまま亡くなりました。


ただ、唯一この事件の目撃者というか関係者がなおご存命で、そのかたを中心に番組は作られてました。

そのかたは、産科医の東野さんというかた(今は現役を退いているとのこと)。

当時はまだ新入の学生だったとのこと。


事件の詳しい内容は、ウィキペディアなどで参照頂きたいのですが、この生体解剖をリードした当時の第一外科のトップの石山教授(容疑者、被告、肩書はどれが適切だろうか?)が、拘置所で全ての責任は自分にあるとの旨を記した遺書を残して縊死してます。

その他の関係者は、死刑や終身刑などの刑を科せられました(実際に死刑は執行されなかった)。

根本的な問題は、全ての責任は自分にあると言いながら自殺することで、事実を永遠の闇に葬ろうとする組織防衛本能を発揮した石山氏の行為だと個人的には思います。


死人に口なしとは言わないけど、せめてその他の訴追され、有罪判決をうけた人たちが、この事件を総括するようなことがあれば良かったのに、と悔やまれます。

やはり、彼らにも組織防衛本能があるのでしょう。
特に古くからの大学病院のため、医局制が幅をきかせ、それに恥をかかせるようなこと、それにとって不名誉なことを発言することは、自らの医療従事者人生を終わらせることに限りなく近かったからでしょうか?


確かに軍が深く関与した異常な状態ですし、教授が構成員全ての生殺与奪を掌握する日本の悪しき医局制度のせいもあるのでしょうが、なんの躊躇いもなくただひたすら従順に、これに関与できたのかしら?

ハンナ・アーレントの見たアイヒマンのようなものだったのかしら?


そんななか、東野氏は本業のかたわら、この事件に関する様々な資料を収集(当時の裁判資料や写真など)し、調査をされてきたとのこと。


そしてこの春に、九州大学は学内に医学部の歴史館を創設し、その歴史を紹介する施設とのこと。
東野氏は資料の提供を申し出て、歴史館側も前向きな様子の映像が流れてました。


ところが蓋を開けてみると…


事件の概要を記したパネルと、この事件に触れた大学の50年史の本の当該ページが展示されているだけ。

九州大学の住本英樹医学部長は、一次資料にあたるカルテなどではないので、展示しないとのこと。


それを言うなら、展示されてるこの50年史の本だって、そもそもカルテのような「一次資料」ではないのだから、展示すべきではないのでは?

さらに言えば、そもそもそのカルテは存在したのか?
戦前の医師法でも当然カルテの作成義務はあったはずで、カルテがそもそも作成されてなかったとすれば、それ自体違法なこと。
あるいは、処分したのか、GHQに接収されたのか?

その辺りの説明が、番組内ではありませんでした。
(是非、この番組で掘り下げて欲しかった)


さらに笑ってしまうのは、この3月の医学部教授会で、犠牲となった米兵を追悼し、医師としてのモラルと医学者としての研究倫理を再確認し、その決意を今後も引き継いでいくと決議していること。


その決議の結果が、このお粗末な展示内容とは、ほんとうに呆れてしまいます。

これでは、九州大学医学部及び病院は、この事件を反省していないばかりか、隠蔽し無かったことにしようとしていると非難されても仕方ないと思います。


東野氏は自らの経営する病院の中に、収集してきた資料を展示されてました。
それは見事なもので、九州大学の歴史館のお粗末な内容とは、比較にならないものでした。


70年経てもいまだに事件に向き合おうとしない九州大学医学部及び同附属病院。

こういう組織は、また同じような事件を繰り返すのではないでしょうか?
(あるいはひそかに既に行っていて、闇のなかで葬られてるのかも、そう邪推されても反論できないのでは)

因みにこの生体解剖を行った石山教授が率いた第一外科は、いまもなお存在します。



今回は九州ローカルの放送でしたが、全国で放送されることがありましたら、ぜひご覧になってみてくださいませ。