今日は音楽の話はやめておきます。
ニュースなどにもなってますが、文科省は大学の人文科学系を統合や再編などを要請し、実質縮小を要求しているようですね。
私自身は文学部及び文学研究科の出身なので、まさにこの対象の分野なんですが、特におどろきはしませんでした。
この手の話は、昔からあった話なので。
少なくとも昭和30年代からこういう話はあって、以降脈々と続いてます。
理由としては、一つは純粋に国家的見地に立ち、工業立国としての日本ということであれば、理工系を充実し、この分野に傾斜配分するべきという考え。
もう1つは、これは公言はされないでしょうが、左翼潰しでしょう。
60年、70年安保と学生運動という社会的背景は無視できません。
ことに国立大学の、それも伝統がある古い大学ほど、経済学部はマルクス経済学、いわゆるマル経の学者に支配され、その影響は人文科学系の学部全体に及んでましたからね。
いわばその「害毒」の巣窟の根本を絶ってしまおうという発想だったのでしょう。
とはいえ、当時はそもそも大学の進学率が今日とは比較にならないほど低く、むしろ高等教育の充実が求められていた時代でしたし、学問に飢えていた戦前派・戦中派の議員も与党内にはかなりいたので、結局そういった大規模な削減には進まなかったのでしょう。
他方、大学内でもこの手の話はよくあります。
もちろん大学は、外部に対しては総論としてそのような縮小や削減は反対するのですが、いざ内部の学部長会議とかで各論の話になると、槍玉に上がるのは人文系、及び教育学部とのこと。
私の師匠は一時期、文学部の学部長を務めていたので、よくボヤいてました(苦笑)。
とはいえ、まだ国立大学の独立行政法人化前の真に国立の大学の時代のお話。
よく言えばおおらかな、明治創設以降の昭和の大学の雰囲気、悪く言えば親方日の丸的なユルい空気の中で、個人的にはじっくりと学問に向かい合うことができた幸せな時代だったかも知れません。
私はそのような伝統的な国立大学の空気を味わえた最後の世代だったのかも知れません。
現在の状況はやはり当時とは変わっています。
大学自体、独立行政法人化で、「大学はできる限り自分で稼ぎなさい」、学部長より学長の権限が強く、学長の経営方針が絶対的という空気になっています。
また「自分で稼ぎなさい」と言われても、既にスタートラインで、大きなハンディキャップが大学間で存在してました。
例えば、学者の研究に欠かせない文科省の科学研究費(いわゆる科研費)は、断トツで東大が多く、しかも上位7校は旧7帝大。
これが延々と続いてきたのですから、当然学者や施設・蔵書の質や量にも雲泥の差があります。
加えて社会のすべてが、企業も行政も政治も、そして小保方さんの一件で判るように学問も、すぐに成果を、それも目に見える且つすぐに役に立つものでないと、許さないという風潮になっています。
こうなると、人文科学系の学部は圧倒的に不利です。
法科大学院のように、司法試験合格者を必死にだしても、今度は司法試験に合格しても弁護士が飽和状態で、失業状態というギャグのような状況です(一昔前では考えられない事態ですよね)。
経済学部も、昨今流行りのMBA取得のための機関として生き残りを図ってるところもありますが、そもそもMBAが日本でどれほど役に立つのか、また質も本家の米国のものに遜色ないか、かなり胡散臭いものです。
教育学部は、そもそも少子化で以前からかなり風当たりが強かったし。
われらが文学部に至っては……です(苦笑)。
しかし、もし今の文科省の方針が徹底的に行われれば、例えば諸橋轍次の大漢和辞典のような完成までに数十年も要したけど、中国や日本の古典文学、哲学、思想を研究するのに不可欠なものは、もはや日本の大学、少なくとも国公立大学では生まれなくなるんだろうなぁ…
それでいいのか悪いのか。
新国立競技場には2500億円も出そうとしてたのにねw
これ以上書くと、あまりに政治的な話になって、自分のブログには似合わなくなるので、この辺りにしておきます(^^)