今年は戦後70年で、総理が談話を出すらしいですが、いつまでこんなことをやり続けるんだろう?と思ってしまいます。

せめてやるにしても、欧米式に25年単位で出せばいいのに…

このままじゃ、10年ごとに談話を出し続けることになってしまうし。



まぁ、私の個人的な政治的見解はさておいて、70年前の今日のベルリンでの録音が残っています。

言うまでもないですが、昭和で言うと昭和20年。
ドイツは日本より3ヶ月早く降伏したので、ドイツの終戦の4ヶ月前の録音ということになります。

もはやドイツの敗北は時間の問題で、ベルリンは瓦礫の山でしたが、そのようななかでも、なおも演奏活動が続けられ、しかもその録音が残っているとは、ほんとうに頭が下がります。

その録音とは


ブラームス 交響曲第1番(第4楽章のみ)

フルトヴェングラー&ベルリン・フィル


アドミラルパラストでのライブ録音。



もう何度も書いてきましたが、フルトヴェングラーの大戦中のベルリンでの最後の録音で、この後ウィーン・フィルとの定期演奏会の録音を残したのち、スイスに亡命し、フルトヴェングラーがベルリン・フィルに復帰するのは、2年以上後のことになります。

この日の演目は:

・モーツァルト  「魔笛」序曲
・モーツァルト 交響曲第40番
・ブラームス 交響曲第1番


ベルリン・フィルの本拠地で、当時ヨーロッパ最高の音響を誇った旧フィルハーモニーは、前の年の1944年1月の空襲で破壊され、この有り様



その後、ベルリン・フィルはベルリン国立歌劇場を本拠地としましたが、同年夏のドイツの総力戦突入により、全ての劇場が閉鎖となったため、ベルリン・フィルは旧フィルハーモニー近くのベートーヴェン・ザールや、劇場であったアドミラルパラストを拠点としました

(現在のアドミラルパラスト)


フルトヴェングラーと交遊があった女流作家カルラ・ヘッカーが、このコンサートの状況を記しているので、少々長くなりますがそれを引用したいと思います(邦題「フルトヴェングラーとの対話」薗田宗人訳、一部誤りは小生が訂正します)。


「彼の幾多の演奏会の中でも、最後の演奏会くらい強烈に、恐ろしいほど強烈に、記憶に焼きついているものはない。それは1945年1月23日、かつての豪華劇場で、赤いビロードを敷きつめたアドミラルパラストで行われた。

毎晩空襲があったので、演奏会は午後3時に始まった。
始まって間もなく、モーツァルトのト短調の交響曲の第2楽章の最中、はっと息をのむようなことが起こった。突如明りが消えたのである。ただ数個の非常ランプだけが、弱い青っぽい光を音楽家たちと静かに指揮し続けるフルトヴェングラーの上に投げかけていた。
音楽家たちは弾き続けた。2小節、4小節、6小節、そして響きはしだいに抜けていった。ただ第1ヴァイオリンだけが、なお少し先まで弾けた。痛ましげに、先をさぐりながら、とうとう優しいヴァイオリンの旋律も絶え果てた。

フルトヴェングラーは振り向いた。彼のまなざしは聴衆と沈黙したオーケストラの上を迷った。そしてゆっくり指揮棒をおろした。

戦争、この血なまぐさい現実が、今やはっきりと精神的なものを打ち負かしたのだ。
団員がためらいながらステージを降りた。フルトヴェングラーが続いた。

しばらくしてからやっと案内があって、不慮の停電が起こりいつまで続くか不明とのことであった。
ところが、この曖昧な見込みのない通知を聞いても、聴衆はただの一人も帰ろうとはしなかった。凍えながら人々は、薄暗い廊下や、やりきれない陰気な中庭に立って、タバコを吸ったり、小声で話し合ったりしていた。

舞台の裏では、団員たちが控えていた。彼らも、いつものようにちりぢりにはならず、奇妙な形の舞台道具のあいだに固まっていた。まるでこうしていることが、彼らに何か安全さか保護か、あるいは少なくとも慰めを与えてくれるかのように。

フルトヴェングラーは、毅然と彼らのあいだに立っていた。顔には深い憂慮が現れていた。これが最後の演奏会であることは、もうはっきりしていた。こんな事態の行きつく先は明瞭だった。もうこれ以上演奏会がないとすれば、いったいオーケストラはどうなるというのだ。

待ちかねた1時間の後、演奏会が再開されたとき、おそらく聴衆の多くはあの優しいモーツァルトの旋律を心待ちにしたことだろう。痛ましく問いかけるようなあの旋律は、まだ空間に漂っているようだった。
ふつう演奏会が中断された時には、中断された曲が最初から繰り返し始められることになっている。しかしフルトヴェングラーが、プログラムの最後に予定されていたブラームスの交響曲で始めた時には、だれ一人それを不思議に思わなかった。あのモーツァルトの優美、「清らかな喜びに満ち足りた」音楽は、もはやこの町では無縁のものだった」。



現場に居合わせた人の筆になるものなので、状況の切迫感が伝わってきます。

そして録音が残されたブラームスの第1交響曲の第4楽章の録音は、見事にその空気まで捉えています。

この演奏を超える爆演や怪演は他にもあるかも知れませんが、これほど異常で極度の緊張感をたたえた演奏を私は他に知りません。

終演後のパラパラと始まる拍手も、「拍手をして良いのだろうか?」という聴衆の戸惑いを伝えてくれます。


音楽というものの存在意義の、ある一面を教えてくれる演奏だと思います。