先日はフルトヴェングラーとトスカニーニという両雄による「田園」を聴きましたが、今日はさらに古いハンス・プフィッツナー指揮による録音を

ベルリン国立歌劇場管


1929年のDGの録音。


電気式録音なので、年代のわりには十分に聴ける音質です。


プフィッツナーと言えば、生前はドイツにおいて、今年生誕150周年を迎えるリヒャルト・シュトラウスと並ぶ大作曲家であり、ドイツ・ロマン派最後の大物と言われます。

年齢はプフィッツナーの方が5つ下ですが、ともに1949年に亡くなったので、かなり長命の二人と言えましょう。

また、ともにナチス政権下のドイツに留まったたため、戦後は色々と苦労したのも共通してます。


とはいえ、この二人はむしろ対照的な所の方が多いかも。

作風で言えば、12音から古典派を思わせるようなものまで器用に書けたシュトラウスに対し、機能和声ギリギリのところまではいくけど、その一線は越えなかったプフィッツナー。


聴き映えのする(演奏のし甲斐がある)ド派手な作品を沢山手掛けたシュトラウスに対し、内省的な渋さの極みのような音楽を書いたプフィッツナー。


ナチスと上手いこと折り合いをつけながら戦争中もどうにかやり過ごしたシュトラウスに対し、ヒトラー以上の国粋主義者でありながら(あるいはそれゆえに)、ナチスにより職を奪われたり、作品の演奏機会を奪われたプフィッツナー。


お金には抜群の嗅覚を持ち、金に不自由することなく、立派な屋敷まで構えたシュトラウスに対し、戦争中に空襲で焼き出されて全ての財産を失い、老人ホームに入れられ、死の直前にようやくウィーン・フィルから支援の手を差し伸べられたプフィッツナー。


そして、演奏スタイルも。


DGは、電気式録音が始まってから、複数の指揮者によるベートーヴェンの交響曲全集の製作に挑み、プフィッツナーには第1,
3,4,6,8番を、シュトラウスには第5,7番を委ねてます(いずれもCD化済み)。


これを聴くと、シュトラウスの方は、無駄が少ないというか、こざっぱりしてるというか…
映像に残っているシュトラウスの指揮ぶりを彷彿とさせます。


これに対し、プフィッツナーはまさにロマン派のベートーヴェン解釈と言える実に濃厚な味付けで、アゴーギクの多用が甚だしいです。

しかもここに聴く「田園」は、もう笑ってしまうくらいスローテンポ。

特に第5楽章でこれ程遅いのは、ちょっと聴いたことがないです。
とにかく、田舎をここまで満喫してる「田園」も、そうはないんじゃないでしょうか、


しかし、こうして聴き通してみると、プフィッツナーの下で働いたことのあるフルトヴェングラーが、プフィッツナーの薫陶を受けたというのは頷ける、両者の解釈の親さを感じます。

フルトヴェングラーはこの曲でここまで激しくテンポを動かしたりはしてないけど、スタイルとしては同じ流れの上にあると思います。


もはや、こういうスタイルの「田園」は、絶えて久しく、今後も聴くことは出来ないでしょう。

そう言う意味で、絶滅種の「田園」として、価値のある録音だと思います。




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