なんか大袈裟なタイトルですが(^-^;)



以前にも書きましたが、履歴書や面接とか、あるいは初対面での自己紹介とかで、文学部卒業と言うと、大抵「本をよく読まれるんですか?」とか、「小説、お好きなんですね」と言われます…


ましてや、大学院まで出てると、「作家志望ですか?」とも訊かれます…



………



日本では、「文学部」を「文学」部と勘違いされてます。

本来は「文」学部。

英語では「Faculty of letters」。

「Literature」ではないのです。


要は文字を扱う学問ということで、だからこそ旧帝大の流れを汲む大学の文学部は、大抵は文学科、史学科、哲学科から構成されてます。

さらに大学によっては、これと密接に関連する心理学、社会学、地理学(主に人文地理学)を含む所もあります。



私自身は、小説はあまり、というか殆ど読みません。
読んでも推理小説くらい。

読書自体は好きですが、読むのはほぼノンフィクションやドキュメンタリー系。



中高生の頃は、岩波文庫の欧米文学の文庫本をそれこそ貪るように読みました。

もちろん中高生の読解力なので、どれほど内容を理解していたかは甚だ疑わしいですが(苦笑)

特にトルストイやドストエフスキーなんて、どれだけ理解出来ただろう?

怪しいもんです(笑)


それが大学に入ると、ピタリとなくなりました。

本業の研究で、読まなければならない文献が山積みだったので、余暇に読むとしても、いきおい純文学よりもパーッと読みやすい本になります。


必須科目で単位を取らないといけなかったドイツ文学の授業で、「魔の山」の話が出て、学生が揃って「難解だ」という話になると、その先生は「日本語訳で読むからだ。原書で読みなさい」と仰りました。

確かに正論ではありますが(特に詩は、ドイツ語の詩に限らず、間違いなく日本語訳では真価は十分に伝わらないと思いますが)、史学科の私は別にドイツ文学の研究をするつもりはなく、自分が読まなければならない研究書が山ほどあったので、丁重にお断りしましたが(笑)


この手の話は、例えばマルクスの「資本論」みたいな難解かつ大部の書物についても、昔からよく言われますよね。

あれは、日本語で読もうとするから難しいんであって、原文のドイツ語で読むと案外スラスラと頭に入ってくると…


小生、「資本論」も無縁だったので、ドイツ語では読んでません(^-^;)



とはいえ、誰もが外国語をスラスラ読めるわけではないし、ましてや数世紀前の文学ともなれば、文法や単語自体が変化してしまってるので、それを原書で読めるのは恐らく文学者くらいなものでしょう。

従ってやはり、翻訳本の存在は有り難いわけです。



ただ、ここで厄介なのが、必ずしも文学者=翻訳家=名文家というわけではないということ。

どんなに、文法的に完全に原文を掬い取っていても、それをスマートで普通の日本語として訳すとなると、かなり難しいですよね。

ニュースとかの同時通訳なんかに感じる日本語としての違和感と同類でしょうか?


要は対象の外国語に対する知識や能力は高いのですが、日本語での表現力がそれに劣ってる場合です。




私も自分が研究に使うドイツ語文献はもちろん訳しますが、その訳文を普通の文章として読めば、多分かなり変な日本語になってると思います。

自分に文才がないのは熟知してますし(^-^;)、何よりあくまでも研究の材料に使うだけなので、極端な話、自分さえ分かれば訳文が日本語として変でも問題ないんです。

(仮にこれを訳書として出版するとなれば、とてもではないですがNGでしょう)


そういう意味では、一般の読者向けに翻訳する人は、双方の言語に長けてないと務まらないんだなぁと思います。



似たようなケースが音楽にもあると思います。

つまり音楽評論。


まず、音楽評論家として、楽典の知識や読譜の能力、そして何らかの楽器の経験が最低限必要だと思います。

だって漢字が読めない、満足に文章も書けない文芸評論家ってあり得ないでしょ?

それと同じだと思います。



じゃあ、音楽学者に評論させれば?という話になるかも知れませんが、それはやはり別の話だと思います。

先ほどの、文学者が必ずしも優れた翻訳家ではないのと同様に、音楽学者が一般のリスナーにも分かるように評論するのに必ずしも長けているわけではありません。


まして、音楽は抽象芸術だから、なおのことよほど巧く文章を書けないと、一般のリスナーには伝わってこないと思います。


音楽評論って、本当に難しいと思います。


特に楽譜すら読めない人が「音楽評論家」を名乗って(名乗れてしまう)、原稿料を取ってしまう日本って、スゴいと思う(爆)



なんか、下らないことを書いてきましたが、今日も昨日に引き続いてフランクの交響曲を

クリュイタンス&スイス・イタリア語放送響



クリュイタンスが亡くなる2年前の1965年の録音。

EMIへの商業録音の遥か後の録音ということになります。





あっ、忘れてた!


「文学部」生の一番の憂鬱は、就職が他のどの学部より難しいことだと思いますw





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