今日は

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番

ギーゼキング(Pf)
バルビローリ&ニューヨーク・フィル

1939年2月のライブ。


ギーゼキングの同曲の録音は、メンゲルベルク&コンセルトヘボウ管との有名な録音がありますが、このバルビローリ盤はさらに1年前の録音。



ラフマニノフ本人の録音や、それに次ぐホロヴィッツの録音がカットありだったのに対し、ギーゼキングはカット無しで演奏してます。

また、やはり作曲者本人は、第1楽章のカデンツァはオリジナル(いわゆる小カデンツァ)を弾き、ホロヴィッツもそうでしたが、これに対しギーゼキングはオシア(いわゆる大カデンツァ)を弾いてます。

まぁ、声楽にしろ器楽にしろ、通常はオシアの方が簡単に書かれてますが、ラフマニノフのこの曲に関しては、同等か若しくは反対なくらい。

重厚な和音の大カデンツァは、パワフルなギーゼキングには向いていると思います。

なにしろ、唯一の来日だった1953年のN響とのリハーサルの折りに、複数の協奏曲の伴奏でオケはヘトヘトなのに、ソリストのギーゼキングはまだいくらでも弾けるぞと宣ったくらいですから(笑)


この人は、プロになってからは、楽譜をじっくり読み込むこと以外には、ピアノに向かった時にはスケールとアルペッジョの練習しかすることはなかったと言いますが、本当に天才だったんでしょうね。


そのうえ記憶力は神がかり的。

初演当日の朝に楽譜を渡されたある作曲家の協奏曲を、数時間汽車で揺られて、晩には暗譜で演奏したというのですから!


またこの人は新即物主義の代表者みたいな言われ方をしますが、ライブになると発狂したような演奏もしばしばします。

この演奏は、そこまで暴れてはいませんが、やはり強靭なタッチとソット・ヴォーチェの対比が実に効果的。


トスカニーニが退任し、フルトヴェングラー招聘に失敗したニューヨーク・フィルは、やむなく若いバルビローリを招き、それが散々で、次のサディスト指揮者(笑)ロジンスキが来るまでは「暗黒時代」などと言われましたが、案外しっかりサポートしてます。


なお、ギーゼキングは間もなく始まる第二次大戦中はドイツに留まったため、次の渡米は10年以上先のことになります。


ちなみに、ギーゼキングはこの曲をカラヤン&フィルハーモニア管とスタジオ録音する予定がありましたが、1956年秋にギーゼキングが急逝したため、遂に実現することはありませんでした(涙)




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