今日は

エトヴィン・フィッシャーのベートーヴェンを。


1886年生まれのスイスのピアニストで、何よりも「平均律」の史上初の全曲録音を行ったピアニストとして知られ、独墺物の卓越した解釈で知られます。

今日聴いたのは

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番
同 「悲愴」
同 幻想曲 op.77

ヨッフム&バイエルン放送響

協奏曲は1951年の録音、その他は1952年の録音。


第4協奏曲は、冒頭のピアノ・ソロによる第1主題で勝負がついてしまう恐い作品ですが、さすがフィッシャー、見事にクリア。

決して作りこんだ、構えたソロで始まり、むしろおもむろに弾き出した観すらあります。


ヨッフムと


第2楽章の沈潜は、まさにこの人の独壇場。

この曲では、ペライアやブフビンダーなどが優れた演奏を残していて、私も好きなんですが、残念ながらフィッシャーの域にはいま一歩足りない気が…

辛うじて彼に伍する演奏を遺したのが、コンラート・ハンゼン(フルトヴェングラー盤)くらいでしょうか?(奇しくも、ハンゼンはフィッシャーの門弟)


フルトヴェングラーと


協奏曲と同じくらい素晴らしいのが、「悲愴」。

冒頭のグラーヴェで始まる序奏の重い和音と、その後の力の抜き方。
自分で弾く時も、模範としてますが、一度としてフィッシャーのように弾けたためしがない(超のつく一流ピアニストの奏でる音なのだから、当たり前と言えば当たり前の話なわけだけど)。


協奏曲とソナタを聴いて改めて思ったのは、フィッシャーの偉大さと、そのピアニズムがもはや失なわれてしまったこと。

周知のように、フィッシャーには、先述のハンゼンをはじめ、バドゥーラ=スコダ、デムス、ブレンデル、バレンボイムといった優れた教え子がいて、実にバラエティーに富んだ面々ですが、師匠の域には遂に達した人は果たしているだろうか?と、ふと考えてしまいます。


今の時代、フィッシャーよりもはるかに高機能で「弾ける」ピアニストは、それこそゴロゴロいるのでしょうが、フィッシャーよりも「音楽」を聴かせる人が、果たしてゴロゴロいるでしょうか?

そんな感慨に浸らせる演奏でした。





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