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私は歴史学者の端くれで、一応それで博士号も取得したので、音楽を聴く時はどうしても歴史的背景を考えてしまいます。


もちろん理屈抜きに純粋に音楽だけを聴くこともありますよ(笑)



そんな私が、これほどの極限下でも、音楽が行われたのかと感心し、そしてその空気が如実に表れていると感じるのが、1945年1月23日のフルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルの演奏会です。


数ヶ月後に降伏することとなるドイツの敗戦は、この時期にはもはや時間の問題で、東からはソ連軍が、西からは米英軍が、首都ベルリンへの一番乗りを目指し、破竹の進軍を続けてました。

ドイツの主要都市は空襲の対象で、首都ベルリンもその例外ではなく、この時期には夜間のみならず、昼間にも空襲を受けてました。

当時のベルリン・フィルは、本拠地の旧フィルハーモニーを前年の1944年1月の空襲で失い、その後利用したベルリン国立歌劇場も同年夏には閉鎖されたため、以後は旧フィルハーモニー脇のベートーヴェン・ザールや、劇場であったアドミラルパラストを転々としてました。


結果としてフルトヴェングラーの大戦中最後のベルリン・フィルとの演奏会となった、このアドミラルパラストでの演奏会の曲目は以下の通り:

・モーツァルト 「魔笛」序曲
・同 交響曲第40番
・ブラームス 交響曲第1番



この演奏会の模様を、フルトヴェングラーと親交のあった作家のカルラ・ヘッカー女史が記しているので、以下に引用します:


「彼の幾多の演奏会の中でも、最後の演奏会くらい強烈に、恐ろしいほど強烈に記憶に焼き付いているものはない。それは1945年1月23日、かつての豪華劇場で、赤いビロードを敷きつめられたアドミラルパラストで行われた。

毎晩空襲があったので、演奏会は午後3時に始まった。

始まって間もなく、モーツァルトのト短調交響曲の第2楽章の最中、はっと息を呑むようなことが起こった。突如明かりが消えたのである。ただ数個の非常ランプだけが、弱い青っぽい光を音楽家たちと静かに指揮し続けるフルトヴェングラーの上に投げかけていた。音楽家たちは弾き続けた。2小節、4小節、6小節、そして響きは次第に抜けていった。ただ第1ヴァイオリンだけが、なお少し先まで弾けた。痛ましげに、先を探りながら、とうとう優しいヴァイオリンの旋律も絶え果てた。フルトヴェングラーは振り向いた。彼の眼差しは聴衆と沈黙したオーケストラの上をさまよった。そしてゆっくり指揮棒を降ろした。

戦争、この血なまぐさい現実が、今やはっきりと精神的なものを打ち負かしたのだ。団員が躊躇いながらステージを降りた。フルトヴェングラーが続いた。

しばらくしてやっと案内があって、不慮の停電が起こり、いつまで続くか不明とのことであった。ところが、この曖昧な見込みのない通知を聞いても、聴衆はただの一人も帰ろうとはしなかった。凍えながら人々は薄暗い廊下や、やりきれない陰気な中庭に立ってタバコを吸ったり、小声で話し合ったりしていた。

舞台の裏では、団員たちが控えていた。彼らもいつものようには散り散りにはならず、奇妙な形の舞台道具の間に固まっていた。まるでこうして一緒にいることが、彼らに何か安全さか保護か、あるいは少なくとも慰めを与えてくれるかのように。

フルトヴェングラーは、毅然と彼らの間に立っていた。彼には深い憂慮が現れていた。これが最後の演奏会であることは、もうはっきりしていた。こんな事態の行き着く先は明瞭だった。もうこれ以上演奏会がないとすれば、一体オーケストラはどうなるというのだ。

待ちかねた1時間の後、演奏会が再開された時、恐らく聴衆の多くはあの優しいモーツァルトの旋律を心待ちにしたことだろう。痛ましく問いかけるあの旋律は、まだ空間に漂っているようだった。普通、演奏会が中断された時には、中断された曲が最初から繰り返し始められることになっている。しかしフルトヴェングラーが、プログラムの最後に予定されていたブラームスの交響曲で始めた時には、誰一人それを不思議には思わなかった。あのモーツァルトの優美、清らかな喜びに満ち足りた音楽は、もはやこの街では無縁のものだったのだ」

(カルラ・ヘッカー著、薗田宗人訳「フルトヴェングラーとの対話」より引用。誤っている箇所は訂正)


冒頭のジャケットの写真は、この日の演奏会のブラームスの第1交響曲の第4楽章が収められたCDのものです。

他の録音が発見されていないのは残念ですが、この異常な状況下での緊迫した空気を見事に捉えた録音です。

演奏内容も、全曲が残っていたならば、フルトヴェングラーのみならず、この曲の史上最高の演奏と評価されたであろうこと間違いなしの素晴らしい壮絶な演奏です。


既に危険人物として秘密警察に盗聴や尾行をされていたフルトヴェングラーは、この後ウィーンに入り、ウィーン・フィルとの演奏会(フランクのd-mollの交響曲とブラームスの第2交響曲で、録音あり)の後、早朝にウィーンのホテルを脱出し、スイスへの亡命に成功します。



当たり前の話ですが、何の圧力も危険もなく、穏やかに音楽し、音楽を聴ける環境がいかに得難いものか、この演奏を聴くとき、改めて考えさせられます。