これは歌好きにはたまらない企画CD

20世紀前半に活躍した34人のテノールによるウ゛ェルディの「トロウ゛ァトーレ」から、第3幕のあまりに有名なマンリーコのカバレッタ「見よ、恐ろしい炎を」ばかりを集めたもの

イタリアオペラの中でも、最も有名なテノールのアリアの1つで、しばしば単独でも歌われますね。
特に最後の楽譜にないハイCが聴かせ所(当然しくじれば、ブーイングの嵐
)ここに集められたほとんどの歌手が、19世紀に生まれた人ばかり。
つまりはオペラが「歌手の時代」と呼ばれた古き佳き時代の歌手たちばかり。
この時代は19世紀以来の伝統で、とにかく歌手が全て。
だから、オペラの本番中でもリクエストがあれば同じアリアを延々とアンコールはするし、それぞれの歌手が自分の母語で歌い、1つの公演で2つ以上の言語が飛び交うことは、日常茶飯事。
だからこそ、自分がスターだと振る舞うソプラノ歌手に、「マダム、 スターがいるのは天の空だけ。私の公演にスターはいません」とトスカニーニが言わなければなりませんでした。
また、戦後間もなくのブダペスト歌劇場での「ローエングリン」の公演で、ローエングリンの名乗りの場で、延々と拍手が続き、それに歌手が応えているのに腹を立てたクレンペラーが指揮台を下りてしまったのも、こうした時代の名残にまつわるエピソードでしょう。
この「歌手の時代」も、ウィーンのマーラー、 ミラノのトスカニーニの登場を皮切りに、1930年代以降になるといわゆる「指揮者の時代」にオペラの世界は変容。
各々の歌手の名技を聴く歌謡ショー的な公演が、作品を聴く公演に変わり、それをまとめる指揮者が主役となり、それはまさにいわゆる巨匠指揮者の時代でした。
この時代もやがて、特にドイツ語圏では2つのハウスが原因で変容していきます。
1つはバイロイト。
1951年に再開されたバイロイト音楽祭は、ナチス時代への決別と資金難から、戦前とは全く異なる質素(貧相
)な舞台で再開しなければならず、そこで幅を利かせたのは、指揮者以上にウ゛ィーラント・ワーグナーによる新バイロイト様式と呼ばれる演出でした。もう1つのハウスがザルツブルク。
戦前のザルツブルク音楽祭は、基本的にはウィーン国立歌劇場のプロダクションを使ってました。
しかし1945年春に、ウィーン国立歌劇場が空襲で破壊されたため、戦後のザルツブルク音楽祭は、独自に製作しなければならなくなり、これが演出の実験場になる遠因となりました。
個人的には、いまの「演出の時代」のオペラは、正直言ってあまり好きではないです。
もはや、指揮者はおろか歌手も演出家の理念実現の駒になり、音楽は目的ではなく手段に堕してしまってます。
音楽の埒外の世界でやってくれよと言いたくなるプロダクションもありますし、何年か前にはザルツブルク音楽祭の「こうもり」の演出は、遂に聴衆から訴えられ、訴訟沙汰になりましたしね

能書きが長くなってしまい申し訳ありませんm(__)m
このCDでは、そのまさに「歌手の時代」のオペラ歌手たちが、思う存分その至芸を披露してくれ、最も「歌」で楽しませてくれます。
主な歌手を挙げると…
一番古いのは、「オテロ」の初演者で、ウ゛ェルディの信任が厚かったフランチェスコ・タマーニョによる1903年の録音。
その後には、「ザ・テノール」のカルーソー(1906)、「蝶々夫人」のピンカートンの初演者であるジョウ゛ァンニ・ゼナテッロ(1909)、マーラー時代のウィーンのスター歌手レオ・スレザーク、 プッチーニの「西部の娘」の欧州初演でディックを歌ったジョウ゛ァンニ・マルティネッリ(1915)、ハイFも歌いこなしたジャコモ・ラウリ=ウ゛ォルピ(1923)、スカラ座でトスカニーニに重用されたアウレリアーノ・ペルティーレ(1924)が続きます。
さらに電気式録音時代になると、オペレッタまで幅広く歌ったリヒャルト・タウバー(1926)、ベルリンとウィーンの寵児ヘルゲ・ロスウ゛ェンゲ(1928)、偉大なヘルデン・テノールのフランツ・フェルカー(1931)、メトで大活躍したユッシ・ビョルリンク(1939)、我が国でもお馴染みのベニャミーノ・ジーリ(1940)などが続きます。
上に書いた時代背景もありますが、彼らの中でもかなりの歌手が、専門教育を受けず独学で大成した人たち。
今日のように専門教育が充実した中で育った歌手と違い、人によって明確な個性が聴き取れます。
もちろん、単なる懐古趣味だと言われればそれまでですが、声楽家の方や声楽家の卵の方には、一度耳にして頂きたいです。
きっと今聴くと新鮮な発見があるかと

なお、このシリーズは他にもあって、たしか「清きアイーダ」とかもあったと思います。
