今日は

ベートーヴェン 交響曲第3番
カラヤン&ベルリン国立歌劇場管(1944.5)
若い頃のカラヤンはお世辞にも恵まれたキャリアではありませんでした。
1929年から1934年に指揮者を務めたウルムの歌劇場は、実に貧弱で、舞台幅7m、楽員17人、合唱16人という学芸会レヴェル

足りない楽器のパートの編曲、合唱団の稽古など何でもやらなければなりませんでした。
ウルム時代のカラヤンウルムで契約を切られたカラヤンは、「ちゃんと」ナチ党員になった上で、1934年から1942年までアーヘン市立歌劇場の音楽総監督を務めました。
精力的な活動が認められ、1938年にはベルリンに登場し、大成功を収めます。
しかしこの時の彼を絶賛する批評が、フルトヴェングラーを刺激し、ご存知の通りの対立がスタート(苦笑)
1939年のカラヤン1939年にベルリン国立歌劇場の指揮者に迎えられるも、やがて支配人であった妖怪ハインツ・ティーチェンと対立し、徐々に干されていきます。
1942年には、アーヘンの歌劇場からも解任され、ベルリン国立歌劇場ではオペラは振らせてもらえず、仕事と言えば国立歌劇場管の数少ないコンサートの指揮くらい

そんな暗黒時代の「エロイカ」です。