一昔前のドイツ語圏のコンサートの喝采は控え目なもので、楽友協会でも1960年代までのライブ録音を聴けば、凄まじいブラーヴォの嵐は滅多に聴けせん。
ただ例外が…

ヘルゲ・ロスヴェンゲ・イン・ムジークフェライン(1959.5.30)
戦前から長らくウィーン国立歌劇場に出演してきた名テノール(1897-1972)
しかし原語でのオペラ上演という音楽監督カラヤンの方針により、イタリア物もフランス物も伝統に従い独語で歌っていた彼は、国立歌劇場の出演機会が減少

そんな中、彼の声を惜しむ国立歌劇場の立ち見席の4人の観客が、楽友協会でのロスヴェンゲのコンサートを企画。
「コジ」、「カヴァレリア」、「オベロン」、「フィデリオ」、「運命の力」、「ばらの騎士」からのアリアが続き、いよいよアンコール。
まずは十八番の「トロヴァトーレ」の「見よ、恐ろしい炎を」で、やんやの大喝采

次に、彼自ら「ブルーメンアーリエ・アウス・カルメン」と「カルメン」の「花の歌」をアナウンスすると、ご婦人方から悲鳴に近い喝采

とどめに「バヤッツォ・アーリエ」と、「道化師」の「衣装をつけろ」をアナウンスすると、待ってましたと言わんばかりの喝采

既に62歳でしたが、衰えは皆無。
晩年ハイCを外しまくったパヴァロッティとは違い、終生輝かしいハイDを聴かせました
