強風の1日でした。
今日は先日に続き、ブルックナーの交響曲第6番を

クレンペラー指揮のBBC響の演奏で、1961年2月の録音。
マーラーの弟子で、公私ともに彼の世話になったクレンペラーは、師匠と同じくブルックナーの支持者で、キャリアの早い段階から、まだ理解されてなかったブルックナーをレパートリーに入れていました。
しかし本国オーストリアですら十分に理解されてなかった20世紀前半に、クラシック後進国イギリスでブルックナーが受容されるはずもありません。
独墺のオケが英米諸国に客演する際に、ブルックナーをプログラムに入れようものなら、マネージメント会社から「狂気の沙汰」と言われる始末
それは20世紀後半に入っても、そう変わりませんでした。
クレンペラーはこの曲を手兵のフィルハーモニア管と録音したかったのですが、EMIは拒否。やむを得ず、彼はBBC響と演奏しました。このCDはその際の録音です。
演奏は、聴いて頂ければ分かりますが、上々の出来
しかしそれでもEMIがクレンペラーに同曲の録音のゴーサインを出したのは、3年後の1964年になってからでした。
なお、ブルックナーよりもマーラーを演奏する機会が多い理由を尋ねられたクレンペラーは、冗談っぽくこう答えてます:
「マーラーには就職の世話にもなったし…」
今日は先日に続き、ブルックナーの交響曲第6番を

クレンペラー指揮のBBC響の演奏で、1961年2月の録音。
マーラーの弟子で、公私ともに彼の世話になったクレンペラーは、師匠と同じくブルックナーの支持者で、キャリアの早い段階から、まだ理解されてなかったブルックナーをレパートリーに入れていました。
しかし本国オーストリアですら十分に理解されてなかった20世紀前半に、クラシック後進国イギリスでブルックナーが受容されるはずもありません。
独墺のオケが英米諸国に客演する際に、ブルックナーをプログラムに入れようものなら、マネージメント会社から「狂気の沙汰」と言われる始末

それは20世紀後半に入っても、そう変わりませんでした。
クレンペラーはこの曲を手兵のフィルハーモニア管と録音したかったのですが、EMIは拒否。やむを得ず、彼はBBC響と演奏しました。このCDはその際の録音です。
演奏は、聴いて頂ければ分かりますが、上々の出来

しかしそれでもEMIがクレンペラーに同曲の録音のゴーサインを出したのは、3年後の1964年になってからでした。
なお、ブルックナーよりもマーラーを演奏する機会が多い理由を尋ねられたクレンペラーは、冗談っぽくこう答えてます:
「マーラーには就職の世話にもなったし…」