それよりも重要なのは、ナチス時代の歴史を巡るドイツでの議論の変化です。
1996年に出版された学者ゴールドハーゲンの「普通のドイツ人。ヒトラーの自発的な死刑執行人」が契機でした。
私も出版直後に独語版をゼミで読んだのですが、その主張は「ホロコーストはヒトラーをトップとしたナチスという一部のドイツ人犯罪集団だけが行ったのではなく、一般のドイツ人も自発的に行なったもの」というものです。
いかに収容所で残酷な処刑が行われたかが克明に描写され(読んでいて憂鬱になります)、それを行なった人間が狂信的なナチ党員ではなく、家庭では誠実な夫であり子煩悩な父親であったことが鮮やかに対比されています。
ドイツではこの本がベストセラーとなり、TVで討論番組が放送されました(最近邦訳が登場)。
この作品は、ホロコーストの責任をヒトラーとナチスに押し付け、一般のドイツ人は関与はしたが、消極的かつ強いられたものだとしてきた戦後ドイツの歴史観を根底から覆すものでした。つまりもはやヒトラーだけに全てを押し付けるだけでは済まされない状況なのです。
そういう意味で、「我が闘争」の出版は、盲目的なタブー視を脱し、あの時代を再検討するきっかけとして歓迎すべきと思います。

さて日本は?
1996年に出版された学者ゴールドハーゲンの「普通のドイツ人。ヒトラーの自発的な死刑執行人」が契機でした。
私も出版直後に独語版をゼミで読んだのですが、その主張は「ホロコーストはヒトラーをトップとしたナチスという一部のドイツ人犯罪集団だけが行ったのではなく、一般のドイツ人も自発的に行なったもの」というものです。
いかに収容所で残酷な処刑が行われたかが克明に描写され(読んでいて憂鬱になります)、それを行なった人間が狂信的なナチ党員ではなく、家庭では誠実な夫であり子煩悩な父親であったことが鮮やかに対比されています。
ドイツではこの本がベストセラーとなり、TVで討論番組が放送されました(最近邦訳が登場)。
この作品は、ホロコーストの責任をヒトラーとナチスに押し付け、一般のドイツ人は関与はしたが、消極的かつ強いられたものだとしてきた戦後ドイツの歴史観を根底から覆すものでした。つまりもはやヒトラーだけに全てを押し付けるだけでは済まされない状況なのです。
そういう意味で、「我が闘争」の出版は、盲目的なタブー視を脱し、あの時代を再検討するきっかけとして歓迎すべきと思います。

さて日本は?