集団で共有できない神を語ります | M.S.の宗教哲学研究ブログ

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硬くて短い一言。

集団で共有できる答えは既に出ているとする立場を、哲学は断固として拒否します。

哲学はその答えの前提を見つけて問題にします。

哲学は集団で共有できない言葉をこそ語ります。

神が究極の詩だからです。

宗教的な集団で共有されているのは、神そのものではなく、周辺的な具体物です。

答えがあるなら共有者を多数にすることに関心が移ります。

でも哲学が求めるのは、量的多数性ではなく質的普遍性です。

哲学は未来に興味がありません。

永遠を今に凝縮させるだけです。