集団で共有できない神を語ります集団で共有できる答えは既に出ているとする立場を、哲学は断固として拒否します。哲学はその答えの前提を見つけて問題にします。哲学は集団で共有できない言葉をこそ語ります。神が究極の詩だからです。宗教的な集団で共有されているのは、神そのものではなく、周辺的な具体物です。答えがあるなら共有者を多数にすることに関心が移ります。でも哲学が求めるのは、量的多数性ではなく質的普遍性です。哲学は未来に興味がありません。永遠を今に凝縮させるだけです。