神示の音読を、修行と捉え直し、継続します | M.S.の宗教哲学研究ブログ

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硬くて短い一言。

それでも私は神示を音読することをやめません。


神示は、私の、頭でっかちで我よしであるという特徴を否定します。


自分を否定されるのは気持ちいいものではありません。


しかし神示は優しい慰めを得るための書物ではありません。


神示は、厳しく自分を鍛えるための、つまり修行の書物です。


神示を音読することで、自分に巣食っている魔を祓います。