生きる喜びを見失ないました | M.S.の宗教哲学研究ブログ

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硬くて短い一言。

少し前に、女性にケアを求めるのは歪んだジェンダー観との言葉が、私の中に入ってきました。


その言葉の正誤や賛否の問題ではなく、その言葉が私の中に入ってきて、私の中で観念になったことが大事です。


それ以来、いままで私が女性に求めてきた内容に罪悪感を感じるようになりました。


いままでの延長で、女性を見られなくなりました。


それがないなら、女性との関係は、メディアだろうとリアルだろうと、持たないほうが好ましいと考えるに至りました。


それなら、私にとって何が生きる喜びなのか、分からなくなりました。