他者が自分の中に入ってくることを受け入れる | M.S.の宗教哲学研究ブログ

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硬くて短い一言。

前回、世界全体を許容すると書きましたが、それは私の中に入ってくる全ての他者を受容することでもあります。

私は、今まで、神の前にただ一人立つ単独者であることを意識するあまり、個の独立を強調しすぎていました。

しかしそこから導き出される自己責任主義は、私の属する教会や政党の立場からすれば、敵である自民党の側の価値観にくみする立場でしょう。

また、最近勉強し始めた仏教の考え方からすれば、全てが関係つまり縁により存在しているので、それ自体独立している実体は無く、空だということになるでしょう。

なのでこれからは、もっと互いに中に入り合う関係で行く必要があるように感じました。

自分と他者が明確に分離していない日本的な人間関係をも、受け入れることにします。