私は、元静岡県民なので、ニュースで見た記憶があるのですが、
 
さすがに小さい頃なので記憶がはっきりとはしません。
 
それと、他のバス転落事故と混ぜこぜな記憶があって、
 
余計にあいまいになっています。
 
こちらは、飛騨川バス転落事故とも呼ばれています。
 
大きな災害の記憶はあるのですが・・・💦

(この写真は移設後のようです)
 
なぜこの記事を上げたかと言うと、
 
先日桜を見に行くのに、国道41号のこの場所を通るのですが、
 
???
 
道路の案内板も、慰霊碑も無くなっていました。
 
そして、橋の建設工事が行われていました。
 
調べたら、令和22年から始まっているようです。
 
今は、9キロ程上流、41美濃白川という産直施設に移設されているようです。
 
 
この道はあまり通りませんが、それでも年に何回かは通過する場所。
 
突然無くなっていても、気づかないものですね。
 
多くの方にとっては、痛みが残る災害の記憶。
 
無くなってもいいものなのかな?
 
 
片側が急斜面のガケ、片側は飛騨川。
 
万一の時は、逃げ場はありません。
 
ここに橋を架け、より安全な道路を通して災害を防ぐためのう回路を作るようなので、
 
祀られていた方々にも、ご理解をいただけるのではないかな?
 
 
忘れられない方々、忘れたい方々・・・
 
余部鉄橋列車転落事故跡でも、そんな事を感じました。
 
 
心が痛む記憶、施設。
 
永続的にあった方が良いのか、無くなった方が良いのかは分かりません。
 
ただ、犠牲になられた方々、遺族の方々のご無念は残り続けるのでしょう。